Shougo's ZERO FIGHTER                省吾の『零戦』
零戦21型
A6M2
零戦32型
A6M3
零戦52型
A6M5

 「零戦」、正確に言うと「零式艦上戦闘機」、日本国民の、そして世界の人々がゼロ戦として、ゼロファイターとして名前だけは知っている第二次世界大戦中に大活躍しました単座戦闘機です。三菱重工の堀越二郎設計主務者によって世に生み出されました。しかも、日本の物資の無い中で、改造に改造を加えられ、終戦までほぼ全期間を通じて酷使され、また神風特攻隊として悲運な戦闘機であったこともよく知られています。

 この零戦に無常な哀愁を感じます。

 技術特性としてのスペックは当時では世界最高水準のものでした。初戦では訓練された老練なパイロットの活躍もあり無敵でした。アメリカでは零戦に出会った時と悪天候の時のみ戦域を脱離してよいとされていました。

 零戦が生み出されるまでの海軍の過酷な技術的要求(空戦能力、航続距離、最高速度)を満足させるため、堀越二郎は10万分の1まで徹底した軽量化管理をします。それは攻撃は最大の武器という、当時の日本武士道の考えもあり、まったくまでの防護・防弾措置を排除したためのひとつの効果の表れでもあります。内部構造では至る所に強度を失わない部分に穴抜きがあります。後期型では多少の防弾処置をしますがあまり効果的ではありませんでした。

 アメリカの戦闘機はパイロットの人命を第一優先と考え、飛行特性よりも防備に重点がおかれていました。例えば燃料タンクへの防弾処置、また座席の後ろは分厚い鋼板鉄板で守られていました。このあたりに日本とアメリカの考えの違いを垣間見ることが出来ます。

 さて、私が柳田邦男、吉村昭書の「零式戦闘機」をきっかけに吸い込まれるように零戦物を読み漁るようになったのは2000年頃からです。他の戦闘機、偵察機、攻撃機、迎撃機、例えば、雷電や飛燕、紫電改、二式大艇また活躍することはありませんでしたが、三菱の烈風、またジェットエンジンを搭載した橘花、秋水、他にも好きなものもあります。

 さらに、戦記物としての坂井三郎や岩本徹三などのエースパイロットは日本人として胸の透くような心地よいものもあります。私は、命と命の取引をする戦闘機同士の真剣勝負には吸い込まれてしまいます。歴史を正確に捉えた柳田邦男の「零戦燃ゆ」は歴史考証として大変勉強になります。

 そのようなノンフィクションを読むに付け、第二次世界大戦を通じて時代背景・国民性なども知ることも出来ます。全ての歴史的事実には動機の上の背景であり、結果が歴史として残るということ、そこには些細な判断ミスが運命を左右していることも多々あります。真珠湾攻撃の緻密な計画と訓練、その後の失敗を繰り返すミッドウェー海戦等、ほんとうに興味深いものがあります。しかしながら、皮肉なことに戦争は技術力を格段に向上させます。いかに効率よく確実に目的を達せられるかの殺人兵器なのです。それは人命を虫けらのように扱う非道な世界でもあります。身内を失い残された家族の悲しみや無念さは一生消えないでしょう。

 昨今の戦争は技術革新も破格的に進みピンポイント攻撃を可能とします。人間は、反省しながら、同じことを繰り返しをしないため学習機能を備えた生物なのですから、同じ過ちは犯さないはずですが、残念ながら歴史は繰り返していますね。いくら技術が進歩しても扱うのは人間なのですから、破壊のためではなく平和のために使ってほしいものです。健全なエゴの無い精神の元、憎しみ会うことの無い世界であってほしいと心から思います。


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