会社の同僚から「予科練平和記念館」に零戦の模型が展示されているとの情報を受け、行ってきた。実物大の模型、ゼロ戦二一型だ。模型は模型。それ以上でも、それ以下でもない。
回天一型の実物大模型も展示されていた。10年前に『特攻回天戦』を読んだ。歴史は深いし生き続ける。
予科練の記念館は写真撮影は厳禁であったため写真はない。ブースが7つ(入隊、訓練、心情、飛翔、交流、窮迫、特攻)ほどあり、多少、こぢんまり感はあった。歴史的史実は多くの本で読んで解ってはいるが、もっと工夫の仕様がありそうな気もする。
少しメモしてきた。そもそも「予科練」とは「海軍飛行予科練習生」とその制度のこと。採用年度によって種別がある。予科練発足当時は大事に長く育てられたが、終戦に近づくにつれ、即席栽培だったのだから、老練なパイロットから比べて技術や経験不足なのは当然なのである。
乙種 |
昭和5(1930)年 |
熟練の搭乗員を多く育てる目的で全国から幅広く希望者を募集するため |
甲種 |
昭和12(1937)年 |
乙種の普通学の授業時間を短縮し、より早く飛行練習生を育てるため |
丙種 |
昭和15(1940)年~
昭和18(1943)年3月 |
すでに海軍の基礎練習を終えた一般兵から飛行兵に適したものを選抜し、より早く飛行練習生に育てるため |
乙種(特) |
昭和18(1943)年4月 |
丙種として採用する一般兵の不足に伴い,乙種志願者で年齢が高いものを短期教育するため |
特丙種 |
昭和19(1944)年 |
当時日本統治下にあった台湾および朝鮮半島からも予科練習生を募集するため |
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