日本陸海軍機大百科、二式複座戦闘機『屠龍』[キ45改] 2011
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日曜日

 シリーズ第四九弾は、攻撃機、夜間戦闘機として活路を見いだした陸軍双発戦闘機『屠龍(とりゅう)』を紹介しましょう。
 爆撃機を護衛して長躯侵攻し、その高速と重武装をもって、迎撃に上がってくる敵戦闘機を蹴散らして任務を完遂する。そんな理想に基づいて開発された二式複座戦闘機だったが、太平洋戦争の現実は厳しく、複戦構想そのものが瓦解してしまう。しかし、大型機を相手にする迎撃戦や、地上目標、艦船などを目標にした攻撃機、果ては夜間戦闘機への転用などによってしぶとく生き残り、相応の実績を残して存在感を保った。


■二式複戦、ニーズに応じた生産型
 二式複戦はニーズの変化により、以下の生産型に分類される。
  (1)[キ45改甲] :[キ45改]の生産型に「ホ一〇三上向き砲」装備の夜戦型12.7mmに改造
  (2)[キ45改乙] :胴体下面射撃兵装を「ホ三」20mmから九四式37mm戦車砲に改造
  (3)[キ45改丙] :甲型の機首上部「ホ一〇三」12.7mm砲2門を、「ホ二〇三」37mm砲1門に改造
  (4)[キ45改丁] :「ホ五上向き砲」20mm装備機として川崎工場による正規の生産型

■海軍の「月光」に倣って
 昭和18(1943)年にラバウルに進出してきた二式陸上偵察機(概要は『月光』参照)に「斜め銃」と称した変則的な射撃兵装が、思わぬ戦果を挙げた。ラバウルに所在していた陸軍航空関係者にも衝撃を与えた。陸軍は早々これに倣った機体の製作指令が発せられた。
 ベースとなる陸軍双発機、二式複戦を航空工廠において改造設計が始まった。 当時の陸軍には、自前で使える20mm機関砲がなく、やむを得ず、破壊力という点で物足りないことを承知で、「ホ103」12.7mm機関砲を用いることになった。固定位置は、操縦席と上々者席の中間とし、前上方に27度くらいの仰角を付けて2門装備した。

■本格的夜戦型の登場
 海軍と陸軍は面子の張り合いで、協調性などはまったくなかった。前上方指向砲に関しても陸軍では「斜め銃」とは言わず、敢えて『上向き砲』という名称を使った。

■陸軍機、初の夜戦
 昭和19(1943)年、B-29の本土空襲が現実味を帯び始めた。同年5月27日、陸軍最初の夜間戦闘専任部隊が結成され、これに的を絞った訓練が重ねられた。昼近くに起床して朝食、夜間訓練を行った後、深夜に昼食を摂るという完全な昼夜逆転の生活に移行した。昼間も部屋には暗幕を垂らして暗くし、隊員もサングラスを着用して暗闇に目を慣らすという徹底ぶりで、隊員の中には精神疾患に陥る者もでたという。

■防空戦
 B-29の本土来襲に夜戦として二式複戦は大検討した。それなりの戦果も残した。夜間の場合は、B-29群が高度2,000~3,000mの低高度で進入したこと、照空灯(サーチライト)の支援がうけられたなどの好条件があったためだ。しかし、昭和20(1945)年4月以降、B-29群は昼間攻撃中心に戦術を転換すると、二式複戦は性能的に接敵が困難であり、それ以前に、掩護役のP-51ムスタングの壁を破ることなど不可能だった。このような状況が続いたまま、8月15日の無条件降伏に至った。

■製造機数
 海軍「月光」の3倍以上になる、各型合計1,690機が生産された。

 次回は、海軍 特殊攻撃機『晴嵐(せいらん)』を紹介します。

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