日本陸海軍機大百科、『九六式陸上攻撃機』二型 2011
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土曜日

 シリーズ第四四弾は、日中戦争争期の奥地爆撃、太平洋戦争緒戦の大殊勲で名を残した”中攻”を紹介しましょう。日中戦争の「渡洋爆撃」で華々しく実戦デビューをした”中攻”、すなわち九六式陸上攻撃機は、日本海軍が新たな陸上航空へ威力として大きな期待をかけた機種でもあった。しかし、現下の日中戦争は広大なる中国大陸が主部隊であったため、元々、洋上に於ける対艦船攻撃を目的として開発された九六式陸攻にとっては、”場違い”な環境での運用だった。そして、軽視していた敵戦闘機の迎撃によって、防御武装の貧弱さ、防弾対策の不備という致命的な欠点も露呈し、海軍内に衝撃が走ったのだった。


■大陸航空戦
 九六式部隊は、中華民国軍への奥地爆撃として、漢口、重慶、成都を中心に四川省各要地の爆撃を敢行した。昭和12年から15年にかけて計182回出撃し、延べ3,715機を動員、計2,060トンの爆弾を投下した。

■世界に衝撃を与えた戦果
 真珠湾攻撃が勃発した三日後の昭和16年12月10日、マレー半島方面の担当部隊は、航空戦史上に特筆される大殊勲を挙げ、世界にも衝撃を与えた。これは、仏印(現ベトナム、カンボジア)に展開した元山、美幌空の九六式陸攻68機、鹿屋空の一式陸攻26機が、マレー半島東岸のクアンタン沖合で、イギリス海軍が誇る2隻の艦船、プリンス・オブ・ウェールズ、およびパルスを自慢の髙練度雷撃、爆撃をもって一挙に撃沈したのだった。
 これは、航行中の軍艦、しかも装甲の分厚い艦船を航空攻撃だけで葬ったという点で史上初めての快挙であり、長い間、あらゆる兵器の頂点に君臨してきた戦艦に、航空機が取って代わったことを示す歴史的な瞬間でもあった。

■第一線からの引退
 後継機種であった一式陸攻への代替が加速し、多くが第一線から退いていった。各型の製造機数は1,048機に及んだ。

 次回は、海軍の局地戦闘機『紫電』一一甲型を紹介します。

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