日本陸海軍機大百科、艦上偵察機『彩雲』 2011
8/24
水曜日

 シリーズ第三八弾は、高速と大航続力を誇った、日本海軍独自の艦上偵察機『彩雲』を紹介しましょう。水上主力艦(戦艦)同士の砲撃戦によって戦争の勝敗が決するのではないかと列強国海軍が等しく考えていた第二次大戦以前、航空母艦はあくまでその主力艦の補助兵力と見なされていた。従って、航空母艦自身が持つ偵察/索敵能力も、とくに専用の偵察機を搭載するほどのものではないと認識され、艦上攻撃機を代用するなどの手段で賄っていたのであった。しかし、日本海軍はアメリカ海軍相手の戦争を想定し、高速と大航続力を主眼にした専用偵察機の開発を決定した。その具体的成果として登場したのが、世界に比類無き艦上偵察機『彩雲』であった。


■一七試艦偵の試作はじまる
 太平洋戦争開戦から二ヶ月近くが経過した昭和17(1942)年1月30日、海軍は中島に対し「一七試艦上偵察機」の名称で、新艦偵の試作を発注した。要求性能スペックは、最高速度が高度6,000mにて648.2km/h以上、上昇力は高度6,000mまで8分以内、航続距離は巡航速度388.9km/hの過荷重状態で4,630km(2,500浬)という予想にたがわず厳しいものだった。中島は、自社製の発動機で日本最初の2,000hp級空冷発動機[BA11](のちの「誉」)の実用化に目処をつけた。一七試艦偵は本発動機を抱いた単発三座機形態でいくことが決定された。

■中島陣、苦心の設計
 艦上機であることから空母上での運用が前提であるため、離着艦時の容易さを求めなければならない。主翼の高浮揚力を得るため、具体的には外翼前縁のスラット、そしたファウラー式親子(二重)フラップ、フラップ兼用の補助翼という、従来まで日本海軍艦上機にない新基軸だった。そして、コンパクトな2,000hp級空冷発動機[BA11]を搭載するとはいえ、重量が5トンを越え、しかも三座機ともなれば、胴体は相当に長くなる。それを、空母の昇降機(エレベータ)の寸法に合わせて11m程度に収めるために、垂直尾翼を前傾させて、どうにかギリギリ(全長11.15m)でまとめた苦心の中島陣でああった。

■高速を実現した試作機
 昭和18(1943)年5月15日に試作1号機が初飛行にこぎつけた。テストの結果、発動機のコンディションが良いときに、要求値を少し上回る653.8km/hを記録し、関係者を驚かせた。実用機としては日本最速記録だった。しかしながら実戦配備された「彩雲」も空母に配備されることはなかった。昭和19(1944)年6月19日~20日のマリアナ沖海戦での空母部隊が惨敗を喫し、艦隊航空へ威力も事実上壊滅状態になったこと。「彩雲」を運用できる中型以上の空母が「瑞鶴」のみになってしまい、配備する意義が薄れてしまったことが上げられる。

 次回は、海軍の『零式艦上戦闘機五二型』を紹介します。

※サイト:日本陸海軍機大百科


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