日本陸海軍機大百科、『九三式中間練習機』[K5Y1] 2011
8/24
水曜日

 シリーズ第三六弾は、海軍航空機搭乗員養成の要となった傑作練習機『九三式中練』を紹介しましょう。日本海軍といえば、まず誰しもが零戦や九七式艦攻、一式陸攻など、華々しい戦果を挙げた実用機のほうを思い浮かべるのが大方であろうが、しかし、これらの実用機を自在に操って活躍した搭乗員達が、その技術を身につける初歩の段階で、必ず一度は”お世話”になった機体、それが通称”赤トンボ”と呼ばれた九三式陸上中間練習機であった。木製主体の骨組みに複葉羽布張り外皮という、骨董品的な機体だが、本機こそ海軍航空機搭乗員養成にはなくてはならぬ大きな存在だった。


■新たな中間練習機構想
 海軍は、110-160hp発動機を搭載する”初歩機”と400-600hpクラスの実用機との格差埋めのため、300hpクラスの発動機を用いた「中間練習機」の調達を決め、横須賀工廠に開発を命じた。昭和一桁時代の半ば頃のことだった。

■横廠は、昭和6(1931)年4月、佐渡次郎機関少佐と鈴木為文技師を中心とした設計に着手し、「九一式中間練習機」を制式採用したが、訓練教官の現場からは高性能過ぎ、安定性、とりわけ横方向の安定性に欠けると問題点が指摘された。量産は見送られ、昭和7(1932)年11月、九一式中練の実用化を目指し、民間の川西航空機に対して、各部の再設計と試作機の製作を命じた。ここに昭和9(1934)年に「九三式中型練習機」の名称で制式採用が決定し、三菱、中島にも分担して生産発注が行われた。

■大量生産
 昭和12(1937)年のに中戦争の勃発により、三菱、中島、川西は実用機の新型開発や改良で手が回らなくなった。そこで本機は、渡辺鉄工所(のちの九州飛行機)、日本飛行機、日立航空機、富士飛行機が生産に加わり、終戦までの生産総計は、5,591機にのぼった。操縦安定性に優れ、諸々の訓練項目に適応できる汎用性、未熟者の手荒い操縦に耐えうる堅牢さがあったことが理由とされている。

 次回は、海軍の『零式水偵一一型』を紹介します。

※サイト:日本陸海軍機大百科


Copyright (C) 2011 Shougo Iwasa. All Rights Reserved.