日本陸海軍機大百科、艦上爆撃機『彗星三三型』 2011
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土曜日

 久しくブログを書いていませんでした。まぁ、書きたい気持ちが失せていて、投げやり気分でございました。そうこうしているうちに「日本陸海軍機大百科」も随時宅配されるので、土曜日で暇だし、ということです。

 シリーズ第三〇弾は、不調の液冷発動機を空冷発動機に換装して生まれかわった高性能艦爆、海軍の『彗星(すいせい)三三型』を紹介しましょう。以前、同じく彗星彗星一一型/一二型を紹介している。零戦を凌ぐ速度と、五〇番(500kg)爆弾を搭載できる能力、そして「オール電化」だった。しかし、いざ実践に投入してみると前評判とは裏腹に窮地に追い込まれてしまう。それは高性能の源である液冷発動機「熱田」に故障、不調が頻発し、稼働率が著しく低下してしまったからであった。この窮状をなんとか打開すべく、海軍が苦肉の策として採ったのが、空冷発動機「金星」六〇系への換装という”大手術”だった。

■期待を裏切った「熱田」発動機
 昭和18(1943)年10月20日、第五〇一航空隊はソロモン戦域において「彗星」一一型を実践に初めて投入し、これにより本機は初陣を飾った。
 しかし、その直後から搭載発動機である液冷倒立V型12気筒「熱田」の故障、不調が続出、これが引き金となり、生産現場の愛知航空機(株)では製造ラインが停滞し、生産計画に影響を及ぼす深刻な事態になった。陸軍機の川崎「ハ四〇」と同様、ドイツのタイムラーベンツDB601Aを国産化した「熱田」は、カタログデータでは高性能を示していた。しかし、当時の日本の工業技術力では、真に実用性の確かな製品に昇華できなかったのである。理想のみを追い求めた海軍航空行政の一大失態でもあった。
 とにかく、事態は深刻なうえ、現下の太平洋戦争も日本軍形勢不利となりつつあるなか、一刻も早い打開策を講じる必要ニ迫られた。とは言うものの、熱田に変わる液冷発動機など存在しなかった。従って、設計上決して褒められた措置ではないが、空冷星形発動機への換装を余儀なくされたのだった。

■救世主となった「金星」
 愛知と海軍側が協議の上、換装対象に選んだのは、すでに日中戦争勃発当時から九六式陸攻などに搭載されて確固たる実績を残していた、三菱「金星」六〇型系である。最初の三型、四型(のちの四〇型系)は離昇出力800~1,000hpクラスだったが、段階的な改良により、五〇型系では1,300hp、そして60型系では1,560hpにまで向上していた。液冷の熱田は、彗星一二型が搭載した三二型では1,400hpだったから、160hpのアップしたことになる。ただし、液冷の熱田にあわせて設計された彗星の胴体は幅が1.06mしかなかった。直径1.218mの金星六〇型と、これを覆うカウリングを取り付けると、胴体との段差はかなり大きくなってしまう。下手をすると、空気力学的にロスが大きく、大幅な性能低下を招く恐れもあった。愛知技術陣は、左右側面に排気管を導き、段差による気流の乱れを排気ガスにより整える、という上手い手法を考えた。また、上面にはカウリングと胴体が面一になるようにし、下面の冷却器が撤去された後の大きな段差の処理は、潤滑油冷却器とその空気取入口を設置することでクリアした。

■性能のほどは?
 最高速度は、熱田三二型を搭載した彗星一二型に比べて、わずかでああるが、6km/h低下して547km/hとなった。発動機出力は少しばかりアップしたものの、やはり直径の大きい空冷の金星に換装したことで空気抵抗が増加したうえ、プロペラを地面とのクリアランス確保のため、熱田用の3.2mから20cm短い3.0mにしたことも影響したためであった。

■戦果は?
 昭和19年6月のマリアナ沖開戦で空母を失っていた海軍は、ほとんどが彗星を特攻機として体当たり自爆攻撃機と化していたのが現実だった。生産機数は総計2,253機で、零戦、一式陸攻の次ぐものであった。

 次回は『一式陸上攻撃機一一型』をお楽しみに。

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