日本陸海軍機大百科、『九六式陸上攻撃機二型』 2010
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火曜日

 シリーズ第二一弾は、『九六式陸上攻撃機 二型』だ。明治時代末期の軍航空草創以来、日本海軍は、ずっと欧米航空先進国の技術に頼ってきた。しかし、国防の根幹を確固たるものにすべく、昭和17(1932)年度を皮切りに、航空機設計、生産を全て日本人だけの力で行うことを目指した。いわゆる「航空自立計画」と称されたプログラムがそれである。この計画によって海軍航空技術は一気に飛躍し、欧米航空先進国に引けをとらぬまでになった。それを象徴的に示した機体の一つがこの九六式陸上攻撃機であった。

 陸攻の定義は、”陸上基地に展開し、戦艦を含めた水上主力艦船による決戦が生起したとき遠く洋上に進出、敵艦船に雷・爆撃を銜えて戦力を殺ぎ、味方水上艦船の戦いを有利に導かせる”というものだった。

■試作
・最初の陸攻は海軍・広工廠が開発を担当した「七試特殊攻撃機」は実用化にならず。
・三菱八試中型攻撃機→概ね計画用窮地をほぼ満たす好成績を示した。
・三菱九試中型攻撃機→八試中攻に雷・爆撃兵装と防御銃座などを施す。発動機の馬力不足の感が強かった。しかし画期的な性能を示した。
・制式採用→密閉機首仕様「甲案」、発動機は「A8」(のちの金星三型)となり、三菱へ制式兵器採用された。

■目的違いの地上爆撃任務
 昭和12(1937)年、勃発の日中戦争(当時は「支那事変」)へ参加した。もともと洋上での艦船攻撃を主目的に開発された陸攻にとって、日中戦争は大きな中国大陸において、地上目標に対する爆撃任務がすべてという勝手の違うものだった。

パソコンのモニターの前で撮影

三菱製『九六式陸上攻撃機二型』
※今回はダイキャスト製ではなくプラスティック

■防御の脆弱性
 九六式陸攻の飛行性能は優れたものであったが、高性能と引き換えに欧米同級機が備えていた相応の防御火器、防弾対策をほとんど考慮していなかった。主翼内のインテグラル式燃料タンク(タンクの外皮が主翼外板を兼ねるタイプ)は、たった2,3発の7.7mm機銃弾が当たっただけで燃料が漏れ、それに引火して爆発炎上する脆弱性を露呈した。海軍内部でも議論はあったが、以降の日本側優勢のうちに推移したことなどもあっって、いつも間にかうやむやにされ、結局は何の対策も施されなかった。しかしそのツケは、やがて後継機一式陸攻の悲劇となって跳ね返ってくることになるのだった。

 次回は艦上攻撃機『流星改』をお楽しみに。(2010/07/06 23:21)

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