日本陸海軍機大百科、『一〇〇式司令部偵察機二型』[キ46-Ⅱ] 2010
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土曜日

 シリーズ第一二弾は、”新司偵”の愛称で親しまれた陸軍の高速戦略偵察機の『一〇〇式司令部偵察機二型』。1930年代当時、仮想敵国の軍事動向を長躯隠密裡に航空偵察することなどは、きわめて困難と考えられていた。日本陸軍は世界に先駆けて具体化したのが「司令部偵察機」であった。高速と高々度性能、そして長大なる航続力を併せ持ち、戦略偵察任務に専念する新しいカテゴリーの軍用機、その嚆矢となった九七式司偵に続き、”本命”として登場したのが、一〇〇式司偵だった。

 ”主トシテ航空作戦ニ於ケル迅速ナル情報ノ蒐集及連絡ニ任シ挺進的ニ使用シム”という定義のもとに、新たに設けられたのが司令部偵察機というカテゴリーだった。九七式司偵の開発をした三菱重工に、キ46の番号で試作発注をした。

 求められた性能条件は、最高速度600km/h以上、行動半径1,000km+余裕1時間、常用高度は4,000~6,000mだった。三菱は河野文彦技師の指導の元に、双発機で600kmを狙った。

 機体はできるだけ小型にまとめ、空気力学の洗練を極限まで追求することを基本ポリシーとして進めた。最も重要視したのは発動機ナセルの形状で、河野技師は、ナセル前全体の空気抵抗を限りなく低く抑えるために、流体力学研究の権威だった東京帝国大学(現:東京大学)の航空研究所に、理想的な形状の示唆を仰いだ。その一方で胴体断面面積の縮小や、主・尾翼の薄翼構造、恒速可変ピッチ・プロペラの採用など設計工夫を随所に凝らした。

パソコンのモニターの前で撮影

『一〇〇式司偵』[キ46-Ⅱ]

 発動機は、「ハ二六」の性能向上型である「ハ一〇二」発動機(離昇能力1,080hp)の実用に目処をつけた。そして早々、キ46-Ⅰを本発動機に換装したキ46-Ⅱと命名された試作機を完成させたのは、昭和16(1941)年3月のことだった。所要の実用実験をすべてこなしたのち、昭和17(1942)年5月、制式採用された。

 この一〇〇式司偵二型はインドやビルマ方面の活動が目立ち、その存在は連合軍側にも広く知られていた。日本陸軍も、キ46-Ⅱ型がもたらす偵察情報は何にもまして重要であり、これをなくして作戦立案もままならなかった。性能向上型キ46-Ⅲ型(昭和19(1944)年)に切り替わるまでに、計1,097機(試作4機含む)が作られた。陸軍側がいかに本機を高く評価していたかがわかる。

 次回は『鍾馗二型甲』をお楽しみに。(2010/03/13 8:52)

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