シリーズ第八弾は、中島飛行機の『隼』戦闘機。一式戦闘機『隼』は、結果的に太平洋戦争の全期間にわたって使い続けられ、しかし、陸軍戦闘機隊からはほとんど受け入れを拒否され、現在の九七式戦と比較して、際立った優位を示せない”凡作機”扱いだった。それも、元をただせば陸軍航空本部の理不尽な要求に振り回された故の結果であり、同情すべき面が多々あるのも事実。結局、陸軍は一式戦に陽の目を見させ、思いも寄らぬ収録戦闘機に祭り上げられていく。
九七式戦が制式採用された直後の昭和12(1937)年12月、陸軍航空本部はメーカーの中島に対し、1社特命で同機の後継機種となるべき次期新型戦闘機を、キ43の番号で試作発注した。すでに日中戦争が勃発していたとはいえ、異例に早い対応だった。
翌昭和13(1988)年12月に完成した試作機1号は、九七式戦の「ハ一乙」発動機に比べて20%以上出力の大きい自社製「ハ二五」(海軍名称「栄」一〇型系-950hp)を搭載していた。しかし、速度、上昇力などが九七戦に比べてそれほど大幅に向上しなかった。
|
パソコンのモニターの前で撮影
中島 陸軍『隼』一型 |
しかし、反対に機体がひとまわり大きく、重くなった分、格闘戦性能は劣るという、どっちつかずの中途半端な機体になってしまった。
次回は陸軍の『九九式双軽爆一型』[キ48-I]をお送りしましょう。では。(2010/01/201 23:58)
※サイト:日本陸海軍機大百科
|