日本陸海軍機大百科、『九七式戦闘機』[キ27] 2009
12/20
日曜日

 シリーズ第七弾は、中島飛行機の『九七式戦闘機』。海軍と陸軍はおなじ日本にありながら、当時はとてつもなく仲が悪かった。諸処の確執を赤裸々に映し出したのは陸軍と海軍、これだけには及ばず軍と民間メーカーの間に存在していた。

 本機試作に先立ち、海軍が三菱の「九試戦闘機(後の九六式艦上戦闘機)」が、それまでの主流であった複葉羽布張り構造から、近代的な全金属製単葉応力外皮構造へとなったものだから、これは、陸軍も負けてはおれぬ、是が非でも戦闘機の近代化を成し遂げなければと、海軍に負けた悔しさの現れで造ったようなものだ。その九試単座戦闘機が初飛行した昭和10(1935)年1月当時、陸軍は次期新型戦闘機として、川崎にキ10、中島にキ11として試作させたが、旧態依然とした構造で、三菱の九試には”格の差”を見せつけられていた。

 陸軍は、昭和10(1935)年9月、キ10を「九五式戦闘機」として制式採用する。こうした中で陸軍の面子にかけて、その3ヶ月後の12月、改めて次期新型機開発を決定し、中島にキ27、川崎にキ28、三菱にキ33の試作番号で発注するのであった。三菱は九六式二号艦上戦闘機を発動機のみを陸軍指定のものに換装し、細部に少し変更を加えた程度の機体で望んだ。川崎キ28は液冷発動機を搭載し、速度、加速、上昇性能面ではキ27、キ28を凌駕して、その特性を存分に示したが、自社製発動機の信頼性が低くて故障、不調を頻発し、軍側の印象を損ねて早々に不採用を通知される。

 中島飛行機は九一式戦闘機以来、陸軍制式戦闘機を送り出せずにいた。競合試作にかける中島の意気込みは相当なものだった。 陸軍は海軍に九六式艦戦を陸軍向けに小改造した試作機1機の納入を、三菱に下命する許しを乞い、陸軍航空本部は、これにキ18の試作番号を与えた。まさに前例のないことであり、なりふりかまわずの感があった。

パソコンのモニターの前で撮影

中島 陸軍『九七式戦闘機』

 中島はキ18を徹底的に分析し、自社なりの創意工夫を盛り込んだPE(Pursuit Experimental(追撃機実験機の略))と称した自主的実験機を製作し、その結果を本設計に活かすというほどの慎重さを見せた。

 特徴としては軽量(自重量は燃料や弾薬などの掲載物を除いた純粋な機体重量は970kgだった)で、活躍は初陣では昭和13(1938)年、中華民国空軍戦闘機を九五式戦闘機とともに30機と空戦し、24機撃墜する華々しいデビューとなった。(九七式の撃墜数は何機か記録はない)。しかし、九六式の漢口などの活躍で暫くは影が薄い状態であったし、性能面で九七式が勝っていたにもかかわらず、このような現状は不本意なものであったに違いない。

 その後、陸軍は九七式の成功に慢心し、次期戦闘機キ43に時代錯誤的な運動性能を求めてしまう。その結果、再び海軍の三菱零式艦上戦闘機に出し抜かれてしまうことになる。次回は隼一型をお送りしましょう。では。(2009/12/20 23:30)
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