原書は、Gulliver’s Travels, Jonathan Swift(1726)。
一言でいうのなら、大凡300年前の書物として致し方ないのかも知れないが、胡散臭くて、スウィフトは精神的にこわれかけていて(こわれているのかも知れない)アブナイ存在にしか僕には映らない。児童書としてガリヴァー旅行記は少年少女達には知名度は抜群であるが、全編(四編)を読んだ上で、妙訳とはいえ、子供向けに抜擢したという選択基準は何なのか、理解に苦しむ。無神経さに呆れる。旅行記としてはデフォーの「ロビンソン・クルーソー」を出し抜きたかったのだろうし、文学・医学・発明等、当時著名人なども実名は挙げずとも、チクリと皮肉る箇所が多数ある。ここで四編をさくっと紹介すると、
・何もかもがスモールサイズのガリヴァーとして名高い第一編
・逆に、すべてがビッグサイズで40フィートもある人間やバスケットボールもほどもある蠅もいる第二編
・空飛ぶ島、ラビュータや、途中日本にも渡航するが訳のわからぬ国の親書を持って江戸に入り、皇帝(将軍のことだろうが)に漂流者の身でありながら謁見できるはずもなかろうに逢って「踏み絵」を免除してもらうお墨付きをもらうという第三編
・未開人の人間(ヤフー)が野蛮で不衛生で、馬(フウイヌム)に知能があって馬が仕切っていて、言葉も喋る。ここで完全に人間不信に陥り、人間は野蛮で不条理で嘘をつき、エゴイズムの塊であると刷り込まれてそれ以降も抜けられない状態となる第四編
から編まれている。
※抄訳:[名](スル)原文のところどころを抜き出して翻訳すること。また、その訳文。 (ガーディアン必読1000冊:戦争旅行記 60作品読了/1,000)
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