『五郎治殿御始末』浅田次郎(著) 2016
12/29
木曜日

世は替わり、御一新(明治維新)からの数年、侍の矜持を捨てきれぬが故の苦悩が儚くとも親しみを含有した小説が六篇編まれている。泣かせパーツと未来への幸せの予感を漂わせるパーツと落とし前パーツのバランス、ならびにお作法が後味余韻残しで、爽やかである。

武士とは何であったのか? 

司馬遼太郎氏「翔ぶが如く」を秋口に読んだいたこともあり、時代背景もそうであるが、武士が、その家族が急転直下、禄もなく、”ただの人”になってしまった。このことが、いつ誰が、どこで、何を、どのようにどうしたのか、千人千様の生き様と人生があったということでしょう。

五郎治殿御始末 (中公文庫)
浅田次郎
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登録情報
単行本: 231ページ
出版社: 中央公論新社 (2003/01)
言語: 日本語
ISBN-10: 4120033511
ISBN-13: 978-4120033513
発売日: 2003/01

商品説明
「御一新」から数年経った明治のはじめが、この短編集の舞台。武士という職業はとっくになくなり、多くの侍が職業を変えて、必死に生きようとしていた。本書はそんな激動の世に、屈折した感情を抱きつつ生きている「元」侍たちが主人公である。

表題作「五郎治殿御始末」は、桑名藩の元事務方役人・岩井五郎治の思い出を、その孫が語る短編だ。廃藩置県の施行により、五郎治は旧藩士の「始末」(人員整理)を命じられる。元同僚たちに恨まれ泣きつかれながらも、彼はリストラの役目を淡々と遂行していく。そしてそれが終わったあと、五郎治はある決意を胸に、自分自身と岩井家の「始末」をつけようとするのだが…。

この物語では無垢な孫の目を通じて、時代が変わることの悲しみを静かに描いている。『壬生義士伝』でも採られた「語り」口調の文体が、巧く登場人物たちの心情を引き出すのに役立っている。

本書に収められた短編の主人公たちは、みな愚直であり不器用である。今風にいうなら彼らは「負け組」である。しかし彼らは決して卑屈にならない。時代の理不尽さを充分に承知し受け入れて、何とか折り合いをつけようとする。

表題作のほかに、商人としての第2の人生を生きる決意を抱いた元旗本の物語「椿寺まで」、太陽暦の導入に反発しながらも、最後はそれを黙って受け入れていく元幕府天文方の話「西を向く侍」などを収める。

彼らの凛(りん)とした精神の潔さが、いずれの短編の結末をも救っている。読んでいくうちに、知らず知らずのうちに主人公たちに励まされてくることに気が付くだろう。(文月 達)








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