実は本書は二十数年前に読んだことがあるのだが、ふと思い出し、もう一度あの感激に触れてみたい、との思いから中古本(しかない)を探して再読したものである。
富士通の電子計算機を作り上げたといっても過言ではない池田敏雄氏を主軸にしたノンフィクションの小説形式の読み物である。富士通、沖、日立、日本電気等はかつて電電公社時代から通信系(交換機、搬送等)の専属メーカであった。脱電電として他の分野へも拡充を迫られた時代であった。「電電公社からの注文だけでは食っていけなくなる」 焦燥感はどの社もあったろう。池田敏雄という富士通に入社した昭和二一年からなくなる昭和四九年にかけて富士通の電子計算機の歴史と、それを取り巻く人物の熱い熱い物語である。池田敏雄氏という天才的頭脳と強烈な推進力、行動力、説得力がなければ、富士通の今日の電子計算機部門は存在したかどうか、または違った世界をみていたかもしれない。
コンピュータの歴史でいえば、真空管→リレー(継電器)→トランジスタ→IC→LSIと大枠進化していくが富士通の創設期はリレーで計算機を作ったのだ。すごい。それらのモデルは馴染みのFACOM(ファコム:Fujitsu Automatic COMputer)シリーズとなって綿々と引き継がれていくのである。
私事で恐縮だが、電電公社に入社(1981)し、クロスバー交換機のメンテナンスでリレーの調整や交換作業に従事した。(計算機のリレーは特別に耐久力アップ、接点数も増加し設計・製作されているのではあるが)また、とあるプロジェクトでは汎用機(メインフレーム)の導入・カスタマイズチームとしてIBM機は8年(1987-1995)、富士通、日立(1992-1995)は4年程関わってきただけに、本書の開発の苦労が痛いほど手に取るように、かてて加えて同情心も加味して理解できるし、それが商品化されヒット機となった達成感もひとしおであろうと拍手したくなる。
感じることは、一人の人間がこんなにすごいことをやり遂げるのだ、と。その情熱やパワーが「何が何でも成功させる」という信念が、会社からは総スカンとなりながらも成し遂げていく茨の道も経験しながらも、ひたすら突き進めてきた。池田敏雄氏に脱帽する次第である。また富士通および関連社員はこのような先輩をもったことを心から誇りに思うに違いない。メインフレーマーとしては汎用機の衰退は著しいものがあるし、且つ郷愁の念に捕らわれ寂しいものもあるが、それはそれ。振り返ってばかりじゃ進歩しない。
そうそう、近々、沼津にある「池田敏雄記念館」を訪れるつもりである。
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