司馬遼太郎の作品では、「坂の上の雲」(日清・日露戦争)、宮本武蔵(関ヶ原の役前後)を読んだことがあるが、国盗り、戦国時代~江戸期にかけては、苦手意識があって手付かずの未開の領域であった。NHK大河ドラマ「真田丸」が放送開始した。多少の時代知識があるほうが更に理解が深まることもあるだろうと、魂胆丸出しで読んだのだった。
結論:面白い。どう面白いかというと諸藩の名将の武勇伝に始まり、信長、秀吉、家康と各フェーズ毎に働きに応じた石高の増減(一石は米百升)、はたまたすべて召し上げられて乞食生活に等しい生活を強いられたり。また、どちらの側に付くのか、戦中でも寝返ったり、敵方の諜報活動はしれっと情報収集され、身内を人質として取られ、また縁組関係であったり、つまりすさまじいのである。この人間ドラマに悲哀と残虐さと豪快さを感じる。
本書タイトルの城塞は、「大阪冬の陣、夏の陣」を中心に据えた家康方が豊臣の息の根を止めた物語である。徳川家康の詳細な戦略、世間の見る目を意識する(世論を味方に付けるというほうが近しい)、外様大名への牽制、駆け引き、豊臣方への工作、なども読み応えがある。私がこの本で一番の苛立ち、煮え切らぬと憤懣やりきれないのは、豊臣秀頼(秀吉の子)の母である淀の方である。若干補足すると、”淀の方”は秀吉に淀城に住まわせたことから淀の方(淀殿)と言われる。信長の妹”市”の三姉妹の長女”茶々”、ちなみに次女”初”、三女”江”である。幼少時の浅井長政の自害、柴田勝家、母”市”の自害と13~14歳にかけて続けざまに肉親の死に遭遇するわけであるから、戦、死に対する恐怖心は尋常ならざるものがあったのだろう。が、口を出しすぎなのである。
さて、大坂(大阪)は、それこそ当時は沼地、田園が拡がる長閑な地域であったのだろう。天王寺、四天王寺、今宮、津守(村)、木津川、阿倍野、鴫野、玉造、船場、鶴橋、京橋、今里、松屋町、谷町、平野、堺、貝塚、佐野、淡輪、生駒と地名が多々登場するが、いずれも訪れ、または住んでいたり、友達がいたりで東西南北、距離感が掴めるのはリアリティをもって読み進めることが出来た。
それで「真田丸」が何であるのか、”真田幸村”の活躍・挙動が読めてしまったのは大河ドラマを観る上でよかったのか、悪かったのか、悩みどころである。
(地図:出典:ウィッキペディア)
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