『壬生義士伝 上・下』浅田次郎著 2014
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水曜日

盛岡南部藩を脱藩した二駄二人扶持の足軽武士”吉村寛一郎”が、新撰組に加わり、その後どのような末路を辿ったのか。「何故」に打ち首にも値するにも関わらず脱藩を企てたのか。幕末から維新にかけて、薩長、幕府、天皇の構図や権力・勢力の変化の絵面模様が勇ましくもあり、儚くもあった時代であった。武士が義を通す、忠義を守るとは何なのか。武士とはそもそもどのような武士が武士道を保持していると言えるのか。「それこそ武士」「真の武士」とはどう定義付けるのか。

幕末から維新に架けての歴史観はNHK大河ドラマ「八重の桜」をご覧になったかたは粗方ご理解いただけるだろう。本書でも会津藩の働き、賊のレッテルを貼られる様子が描かれている。「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言われた時代だった。

しかし、冒頭に述べた「何故、何故」とは? 足軽武士、出稼ぎ浪人、守銭奴とも揶揄された吉村寛一郎とはどのような男であったのか。家族は、病弱だが別嬪の妻、鳶が鷹の息子、かわいらしい娘、まだ見ぬ赤子。寛一郎を守ろうとした幼馴染達、新撰組の面々。お話は、その当時を知る新撰組の生き残り、幼友達、中間(その後渡世人)などが語り口調で物語りは展開する。

今、公開中の映画「奇跡の0」もテーマとしては、壬生義士伝を見習った節がある。愛する妻や子供のために、何が何でも生きて帰る、そのための叱責も苦労も厭わない。吉村寛一郎は、義として盛岡藩に忠誠を誓い、そのために武道に励み、勉学し、文武両道であったにも関わらず、二駄二人扶持は貧しかった。如何ともし難かった。百姓もし、内職もし、それでも生まれてくる赤子を育てるだけの米もない。なりふり構わず、何をしてでも金を稼いで家族を食わせる。彼の行動の根底はこれであった。今時、このような話があるだろうか。貧しいという真の意味を理解できる若い世代は皆無に近いだろう。「貧」を学べ、というのではない。今、不自由なく飢えることなく生活できる日々を「ありがたい」と感謝の気持ちが湧くならば、それで十分。それを感じさせる本書は粗末にしてはならない。

私が雑駁に感じるのは、「家族愛」を語る話は美し過ぎるのだ。泣かせの常套句だ。ずるい。ずるい。

川の流れに例えるならば、落ち葉が上流にそっと舞い落ち(起)、ゆらゆら流れに身を任せながら、中流になるに従い大きなうねりに呑みこまれ(承)、更に葉は樹木や漂流物と擦れ絡み合い(転)、下流になるにつれ本流となり、大きな発展と終焉を迎え(結)、大海原に静かに流れ出すイメージといったところ。

少しばかり書きすぎた。浅田次郎初の時代劇小説らしいが、この人、巧いねぇ。多少、説明が被るところ、重複するところもあるが、それはさておき、ところどころ涙が止まらなくて、鼻水がズルズルとなって困る。これが電車で起こると困った、困った、にもなるわけである。

壬生義士伝 上 (文春文庫 あ 39-2)
浅田 次郎
4167646021
登録情報
文庫: 463ページ
出版社: 文藝春秋 (2002/09)
ISBN-10: 4167646021
ISBN-13: 978-4167646028
発売日: 2002/09
壬生義士伝 下 (文春文庫 あ 39-3)
浅田 次郎
416764603X
登録情報
文庫: 454ページ
出版社: 文藝春秋 (2002/09)
言語: 日本語, 日本語
ISBN-10: 416764603X
ISBN-13: 978-4167646035
発売日: 2002/09

<上巻>内容紹介
日本人の「義」とは何か。2003年初春映画化!
「死にたぐねえから人を斬るのす」新選組で、ただひとり庶民の心を失わなかった吉村貫一郎の非業の生涯を描く浅田次郎版「新選組」
内容(「BOOK」データベースより)
小雪舞う一月の夜更け、大坂・南部藩蔵屋敷に、満身創痍の侍がたどり着いた。貧しさから南部藩を脱藩し、壬生浪と呼ばれた新選組に入隊した吉村貫一郎であった。“人斬り貫一”と恐れられ、妻子への仕送りのため守銭奴と蔑まれても、飢えた者には握り飯を施す男。元新選組隊士や教え子が語る非業の隊士の生涯。浅田文学の金字塔。

<下巻>内容(「BOOK」データベースより)
五稜郭に霧がたちこめる晩、若侍は参陣した。あってはならない“まさか”が起こった―義士・吉村の一生と、命に替えても守りたかった子供たちの物語が、関係者の“語り”で紡ぎだされる。吉村の真摯な一生に関わった人々の人生が見事に結実する壮大なクライマックス。第13回柴田錬三郎賞受賞の傑作長篇小説。







(2014/01/22 20:25)


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