『零戦(ゼロファイター)老兵の回想』原田要著
―南京・真珠湾から終戦まで戦い抜いた最後の生き証人-
2013
10/17
木曜日

太平洋戦争(大東亜戦争)を戦闘機乗りとして活躍し、運よく生き残り、現在も健在な”原田要”氏が当時を振り返り、また、今を生きる僕たちに熱いメッセージを投げかけている本である。搭乗時間八千時に及ぶベテラン搭乗員、空港母艦乗りとして、真珠湾攻撃(この時は空母上空の見張り)、ミッドウェイでの大惨敗で多くのベテランパイロットを消失しながらも生き残り、ガ島(ガダルカナル島)での不時着で大怪我をしながらも生還。

しかし、戦後、軍人は公職追放により、まともな仕事に就けず苦労した。世間もそれまでは応援していたにも拘らず、手のひらを返したように戦争戦犯者に辛くあたった。軍人誰しもが、日本国のために国に命を捧げようと、今ならおかしいと多くの世代が思うだろうが、当時の日本はそれが正義だったのだ。誰も殺したくて敵を殺したのではない。敵を打ち落とさなければ自分の命が落とされるからである。一騎打ちでは相手の顔まではっきりと見えるという。その顔が悪夢となって蘇り、毎夜うなされる。

パイロットに限らず多くの戦争経験者が戦後、そのことを身内にすら語らず、貝のように沈黙を守った。語れないのだ。ひた隠しにしていた。

著者は、湾岸戦争で夜に砲撃される景色が花火のようで綺麗と思う人々がいることに、「物申す」と封印していた経験を語るようになったのだという。

僕は右翼的思想はないが、大東亜戦争がアジア諸国に植民開放を促し、教育し、インフラを整備してきたことも事実だ。現在、中国や韓国が反感感情を抱いている。当時の大東亜会議(1943)には、日本人のアジア人として、同胞の開放を謳ったこともあったわけであるから。今の靖国神社参拝への中国・韓国の発言、尖閣諸島への脅威、これだけ時間が流れたのだし、十分補償はしてきているではないか。日本国としてしっかりした立場で物申してほしい。「これこれは、こうあるべきで、こうであるから、こうする」といってほしい。そうでなければ、世界各国からスタンスの曖昧さ、日本民族としての誇り、愛国的精神の欠乏を失笑されてしまうだけだ。

明確なスタンスで、判りやすいメッセージを首相・大臣はしゃべってほしい。他国に気を遣いすぎるのにも程がある。(本書の本題とは少しずれてきたが、巻末は山口春獄さんがすらばしいことを書かれている)

そういえば、昨日の石原慎太郎氏の国会質問は歯切れよかったですよね。

零戦(ゼロファイター)老兵の回想―南京・真珠湾から終戦まで戦い抜いた最後の生き証人 (シリーズ日本人の誇り)
原田 要
4434162128
登録情報
単行本: 357ページ
出版社: 桜の花出版 (2011/12)
ISBN-10: 4434162128
ISBN-13: 978-4434162121
発売日: 2011/12

★内容(「BOOK」データベースより)
滞空時間8000時間、日本が世界に誇った「零戦」を駆って戦い交戦国から畏れられた歴戦のパイロット。南京攻略、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島争奪、幾多の戦場をくぐり抜けた著者のみが語り得る本当の戦争論。国の誇りを守った男たちの記録。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

★原田/要
大正5(1916)年長野県生まれ。昭和8(1933)年横須賀海兵団入団(水兵)。昭和12(1937)第35期操縦練習生を主席で卒業。昭和16(1941)年空母蒼龍に乗り組みハワイ真珠湾攻撃に参加。翌年ミッドウェー海戦参加、1カ月の軟禁生活の後、空母飛鷹に乗り組み、同年10月ガダルカナルでの空戦で重傷を負い内地へ。千歳航空隊にて終戦を迎える。戦後、公職追放の苦難の中、農業、酪農、八百屋、牛乳販売など様々な職業を経て、昭和43(1968)年に託児所を開設(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)







(2013/10/17 20:46)


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