『あふれた愛』天童 荒太著 2013
8/16
金曜日

天童 荒太、”てんどう あらた”と読む。今回の「あふれた愛」は「永遠の仔」を執筆中に新たに構想が浮かんだと文末の謝辞に書かれている。四篇の中編小説で組み上げられている。お勧めできる一冊だ。

「安らぎの香り」
根底として取り上げられている要因のひとつに、親が及ぼす子供への影響が、子供が大人になってからも色濃く傷跡を残して、そしてそれらの人たちを苦しめていることが挙げられる。

・兄弟と比べられる
・「しっかりしなさい、もう」の多用
・(うまくできたときも)褒めてあげられない
・失敗すれば叱る・怒る(諭すならよいのだが)
・仕事にかこつけ、子供に振り向かない

すると、幼少の子供はどのように対処するか?
親の前では、
・いい子でいようとする
・わがままをいわない
・褒められよう、気に入られようとする
・自分の気持ちを抑制し、怒り、悲しみ、寂しさの感情を閉じ込めてしまう

得てして、他人の顔色を伺い、積極性を欠き、親の発言や所作をみては「何か自分が悪いことをしたのか(しら)」と余計に自分を追い込んでしまいがちになる。承認中毒症でもある。気晴らしできずに、それがエスカレートすると精神疾患となる。ここで厄介なのは治療を進めるに際しても、肉親の態度(情けない、恥ずかしい、、世間様に顔向けが・・、しっかりしていないから・・)があきれるほどのシャワーに曝されたのなら、二進も三進も改善できない。更に落ち込む。ですから、育児というのは難しいものなのです。親は子供を意のままに、自分の道具のように扱い、さらに、自分の夢を託すことが少なからずある。
(1)「人として心温かい、思いやり、心根の優しさを育む」
(2)「勉強していい大学、いい会社を目指せるように教育する」
原理原則・根本的に(1)ができた上で(2)をしなさい。(1)が欠如してるままで(2)を推し進めると、それは人として間違いでしょう。多少頭が悪くてもいい。混んだ乗り物でおばあさんに席を譲れる人であれば、育児は成功しているのであり、それ以上望むことはないのである。

「うつろな恋人」
これは過労で倒れた疾患を治療中の中年と、強迫観念、妄想、自己分裂を持つ若い娘の恋物語とは言えない、考えさせられるテーマで、小さなエロと、男の勘違い、サポートする周りの冷静さが織り成しながら、話は進展する。

「とりあえず愛」
育児をする中で父親の役割、妻に対する接し方を取り上げている。育児は一時的に母親を育児ノイローゼ(特に核家族化した中で相談する相手が欠乏する等)に仕上げてしまう。最悪は赤ん坊に殺意まで抱いてしまう。一般論としては、男は仕事都合や世間の目で見がちであり、母親の視点に立てないことが多いのではないだろうか。(もっぱらそうであろう)「自分だってへとへとになるほどに仕事をしている、家に帰ってまで気を使わせるようなことをしないでほしい・・」と。夫が妻を信用しない。「君がちゃんとしていないから、そんなことになったんだ 何故そんなことに気付かないんだ」とか。また妻が夫に不信感を持つ。「いままでどこいってたのよ、何で連絡しないのよ・・・」夫&妻の相乗効果で絆は薄れかけていくという図式か。そして、完璧主義な母親ほど、自分が思うようにできなかった時に自分を責めるのではないか。これは赤ん坊を持つ父親に読ませたい一遍である。

「喪われゆく君に」
最初はかったるく読んでいたが、最後のシーン、ぐらっとくる。自分を変えるのは外部からのトリガーがあれ、やはり自分の中の変化を正直に見つめ、育むことだろう。自分を変えなければいけないと言っているのではない。素直な優しい気持ちに切り替えていく、これはひとつのお話である。

あふれた愛
天童 荒太
408774373X
登録情報
単行本: 336ページ
出版社: 集英社 (2000/11/2)
言語 日本語
ISBN-10: 408774373X
ISBN-13: 978-4087743739
発売日: 2000/11/2

内容紹介
コンビニで突然死する男性とそれを目撃した青年(「喪われゆく君に」)など、現実の出来事を通して、心の傷に悩み戸惑う人々の交錯する心情を描く四作品。
内容(「BOOK」データベースより)
ふたりでいても、かなしい。ひとりでいても、いとしい。生きていくということ―その意味と真実とは。人々の交錯する心情を通して問いかける四つの物語。







(2013/08/16 21:10)


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