アンナ・カレニーナの原則 2012
8/16
木曜日

数ヶ月前に読了した「銃・病原菌、鉄」 文庫版/ジャレド・ダイアモンド/倉骨彰=訳に、ヘッドラインの話題があった。
興味をソソラレタのでメモしてあった。(突然に、思い出した)

文豪「トルストイ」の小説、アンナ・カレニーナの冒頭、
『幸せな家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである』(岩波文庫)

男と女の結婚生活が幸福であるためには、
 1.互いに異性として相手に惹かれなければならない、
 2.金銭感覚が一致していなければならない、
 3.子供の躾についての考え方、
 4.宗教観、
 5.親類への対応など、

男と女が実際に生活を共にする上でいろいろ重要な事柄について、二人の意見がうまく一致していなければならない、ということである。

これらの要素は、幸福な結婚生活の実現にはなくてはならないものであり、ひとつとして欠けてしまえば、その他ものもろの条件が全て揃っていたとしても結婚生活は幸福なものにはならない。

トルストイの指摘は一つの原則であり、男と女の結婚生活以外にも、いろいろな事柄に当てはまる。われわれは、成功や失敗の原因を一つに絞る単純明快な説明を好む傾向にあるが、物事はたいていの場合、失敗の原因となりうるいくつもの要素を回避できてはじめて成功する。

トルストイの「アンナ・カレニーナ」の原則は、まさにこの点を言い当てている。


ここまでが、文中からの借用であるが、皆さん、どうでしょうか?
自己流に考察してみよう。

のお互いに惹き合う、つまり策略結婚でもない限り、大概は双方、相思相愛を原則とするなら、これは当てはまる。誰しも初めはここから始まらなければならない原則論。

の金銭感覚は、大富豪の倅か、白金ネーゼのお嬢様 VS 貧乏の子沢山、奉公に出された子供(いまどき、丁稚に出される子供はいるのか?)の大金持ちVS 貧乏の構図でない限り、一般的な庶民感覚サラリーマン世代であれば、大きな金銭感覚のズレはないので、これは高い確率でクリアーできるはず。

の子への躾は、どうでしょう、”自分が努力もせずに、憧れだけで、果たせなかった夢を子供に託す、勉強・勉強とまくし立て、有名学校へ進学させようとする派”、片や、”健康で思いやりのある大人になってくれれば、それ以上何も望むまい派”に大雑把に分かれるのではないか。(これは乱暴すぎです、躾とはもっと人の基本動作に関わる部分です) (話しを解りやすくするために)親のエゴによる愛情無しのガミガミ怒鳴る躾け(これは躾けとは呼べません)、それに比して、溢れんばかりの愛情で厳しく子供を躾ける。将来の結果は、天と地ほどのギャップが生まれてくると思いませんか。この躾方法の方針が夫婦間で合っている事は大きなポイントとなるだろう。

の宗教観、日本人は宗教観がもたらす日常生活への影響度・波及具合は諸外国に比べれば低い。大体の国民は祖先を敬い、お墓参りは欠かさない民族。法事もきちんとやるでしょう。ここで、キリスト教VS真言宗(僕の家)だったりすると、葬式・法事など、随分と様式が違う。家に十字架と仏壇の両方を据え付けなければなければならない。宗教の違いは、大きな障害、ハードルとなることは間違いないだろう。しかし、宗派が違っても、ここでいう宗教観は、お互いが相手の宗教観を尊重すれば、クリアできることが多いと僕は思っている。

の親類への対応は、でしゃばり親類か、もしくは、好きなようにやっていいのよ、なのか、大きな比重を占めるだろう。(僕は経験がないが)あれこれしゃしゃり出てくる親戚縁者がいて、○○族のしきたり・流儀が幅を効かせすぎていると、お互いに愛があっても、時間と共に、二人の関係性は徐々に崩壊していくのではないだろうか。

クリア度合い(易<===>難)で、順番付けしてみよう。
自己流採点では、1→4→2→3→5になった。(皆さん、それぞれ考えが違うでしょう)

このような観点に立つと、1~5全てにおいてマッチする夫婦など、この世にいるのだろうか?と疑問を呈したい。


だから、僕の結論は、「一人身が自由で一番よろしい」と持論を述べた次第である。


【参考文献】
文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)
ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰
4794218788
文庫 銃・病原菌・鉄 (下) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)
ジャレド・ダイアモンド 倉骨彰
4794218796

なぜ人類は五つの大陸で異なる発展をとげたのか。分子生物学から言語学に至るまでの最新の知見を編み上げて人類史の壮大な謎に挑む。ピュリッツァー賞受賞作。識者が選ぶ朝日新聞“ゼロ年代の50冊”(2000年から2009年の10年間に刊行された本)堂々の第1位

銃と軍馬―― 16世紀にピサロ率いる168人のスペイン部隊が4万人に守られるインカ皇帝を戦闘の末に捕虜にできたのは、これらのためであった事実は知られている。なぜ、アメリカ先住民は銃という武器を発明できなかったのか?彼らが劣っていたからか?ならば、2つの人種の故郷が反対であったなら、アメリカ大陸からユーラシア大陸への侵攻というかたちになったのだろうか?
否、と著者は言う。そして、その理由を98年度ピューリッツァー賞に輝いた本書で、最後の氷河期が終わった1万3000年前からの人類史をひもときながら説明する。はるか昔、同じような条件でスタートしたはずの人間が、今では一部の人種が圧倒的優位を誇っているのはなぜか。著者の答えは、地形や動植物相を含めた「環境」だ。
たとえば、密林で狩猟・採集生活をしている人々は、そこで生きるための豊かな知恵をもっている。だが、これは外の世界では通用しない。他文明を征服できるような技術が発達する条件は定住生活にあるのだ。植物栽培や家畜の飼育で人口は増加し、余剰生産物が生まれる。その結果、役人や軍人、技術者といった専門職が発生し、情報を伝達するための文字も発達していく。つまり、ユーラシア大陸は栽培可能な植物、家畜化できる動物にもともと恵まれ、さらに、地形的にも、他文明の技術を取り入れて利用できる交易路も確保されていたというわけだ。また、家畜と接することで動物がもたらす伝染病に対する免疫力も発達していた。南北アメリカ、オーストラリア、アフリカと決定的に違っていたのは、まさにこれらの要因だった。本書のタイトルは、ヨーロッパ人が他民族と接触したときに「武器」になったものを表している。
著者は進化生物学者でカリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部教授。ニューギニアを中心とする長年のフィールドワークでも知られている。地球上で人間の進む道がかくも異なったのはなぜか、という壮大な謎を、生物学、言語学などの豊富な知識を駆使して説き明かす本書には、ただただ圧倒される。(小林千枝子)











(2012/08/16 21:38)


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