鎮守の銀杏、樹齢何百年? 2012
6/24
日曜日

夕方、5時頃から、一人散歩に出掛けた。
家から、歩いて、3分40秒程の場所に銀杏の大木に出合った。
(僕はひっそり侘びしい山で仙人修業しているのだ)

一番下の写真は小さい方の銀杏であって、下段の銀杏は、高さ30メートル以上は上背のある銀杏の木だった。
あまりの強烈なパワーとオーラで写真は上手に撮れなかった。

幹の周りは4m近く、直径は優に1m30cm位あるだろう。
樹齢にすると何年だろうか。
恐らく200年はくだらないだろう。


大木、老木を見ると、僕はいつも畏怖の念に囚われてしまうのと同時に、敬う、敬虔な気持ちにさせられてしまう。
幾多の暴風雨や厳しい気候もあっただろうに、今までよくぞ生きながらえてきたではないか。

「あなたのその生命力は何なのですか?」
と問いかけずにはいられない。
「あなたはいろんな出来事を見続けてきたんだね」、
と言葉を交わそうとしてみる。

銀杏の木は愚痴をこぼすでもなく、ただ、ひっそりと、そこに聳えるという威圧感ではなく、そこに立っているだけであって、何も自分自身からアピールすることもないし、術もあろうはずがない。

しかしながら、その存在感は重厚、厳格だと痛み入るほど感じてしまう。大木の銀杏は攻めより守りの姿勢で、これらが如何ほどに莫大なエネルギーを要するものなのか。あらゆるものが威圧的で突撃的精神・抗戦的では、人も、樹木も疲れてしまって、生き抜けるはずがない。

そう思いませんか?



銀杏の木を見上げながら、これからも僕たちを見守る必要はないけれど、ずっと、この場で佇んでいてほしいと念じた。
「長生きせいよ」、と樹肌をポンポンと軽く叩いて、撫でて、擦って、情念を、その銀杏に送り込んでみた。


「何を馬鹿なことをほざいておるのか」、と軽蔑するなかれ。
こういった気持ちは樹木にはきちんと伝わるもので、互いに心も通いあうものである。

次回に会ったときは、間違いなく、その銀杏の老木はサラサラと小枝をざわめかせ、「やぁ」とは僕に問いかけてくるだろう。
僕も銀杏も、生物も植物も訳あって、この世に生かされているのだと、夕刻の散歩道で改めて肝に銘じてみた。


皆さんには解りますまい。

(2012/06/24 20:24)


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