愛情への依存(1)

2012
1/22
日曜日

最近、『いやな気分よ、さようなら』から『愛情への依存』をピックアップしてみよう。

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法
デビッド・D.バーンズ 山岡 功一 夏苅 郁子
David D. Burns 佐藤 美奈子 林 建郎 小池 梨花

4791102061

内容(「BOOK」データベースより)
認知療法の気分改善効果は、驚くべきものである。うつ病に対して、抗うつ薬と同等か、それ以上の治療効果があると証明された初めての精神療法、それが認知療法である。本書は、人生を明るく生き、憂うつな気分をなくすための認知療法と呼ばれる最新の科学的方法を示す。抑うつ気分を改善し、自分の気分をコントロールする方法を身につけるための最適の書。

「異性に愛されな限り、本当に幸せで円熟した人間になれない。
 事実の愛が幸せになるためには最終的に必要なのよ!」


これが愛情への依存である。

幸せを感じるのに必ず愛情を要求する態度を「依存」という。
依存とは自分の感情生活に自分で責任をとることができない状態のこと。



◆愛情の依存者であることの欠点について

愛されることは絶対に必要なこと、好ましいことなのだろうか?

ある人は、”愛されるということが呼吸している酸素のように非常に重要なもの”と信じている
にもかかわらず、実際には愛されていないため、その憤りで溢れんばかりになっている。
そのうえ、愛情に対する物欲しげで貪欲な態度のために、人は彼女から遠ざかっていく。

私は「男性(または女性)」のいない自分など、生きていても仕方がない」
と思い込むことの短所と長所をリストアップしてみよう。


短所は、
 (1)いつもこういう考え方をすると恋人のいない自分にがっかりしてしまう
 (2)そのためにやらなければならないことや、外出の機会が更に少なくなる
 (3)気分に張りがなくなる
 (4)自分を憐れんでしまう
 (5)自尊心や自信がなくなり、他人を見て羨んだり辛くなったりする
 (6)ついには自己破壊的な感情が起こりひとりでいることがたまらなく怖くなる

長所(愛されることが幸せになるために絶対必要だと考える利点)は、
 (1)こう考えることにより恋人と愛情との安心感が得られる
 (2)人生に目的と生きる理由を与えてくれる
 (3)求めていた何かを与えてくれる

こういった利点は現実的なもの、想像上のものなのかどちらだろうか?

伴侶を得ることが人生でとても大切なことだと思いこむことに男性を自分のところへ
運んできてくれる魔法の力はない。

他人に頼りがちで依存的な人間は、注目を引きだがり何かをやってほしそうに見えるので、
異性の最初の関心を惹くことだけでなく、続いて付き合いを保っていくこともとても難しい。

皮肉なことに、探しても探しても異性の見つからない人はたいてい依存的な女性。

これは驚くことではない。
自分の価値観のために他人の存在を「必要」とするということは、
「あなたと一緒に連れて行って。私には生まれつき価値がないし、
 自分でも自分に我慢ならないくらいだもの!」
と公言していることになる。

だから、こんな人の買い手はほとんどないこと請け合いなのである。
「あなたは私を愛してくれるはずでしょう。愛してくれないのなら最低の男よ」
と言ってもあなたを慕ってくれる人はいるはずもない。

もし自分が本当に自立していたら、他人を必要としない人間とみなされて、その結果一人になってしまうのではないかという誤った観念のために、依存的であり続けようとする人もいるかもしれない。
これを恐れているあなたは、依存を温かみと同じだと考えている

真実は正直なものだ。

もしひとりぼっちで依存的だとすると、あなたのイライラ感や怒りっぽさは、
自分こそ他人から愛される資格があるとの信念が裏切られたために生じている。
そしてこの態度ではもっと深い孤立に嵌っていくだろう。

これに対して自立している人には孤独を感じることはなく、たとえ一人でいても幸せを感じる
ことのできる度量がある
もの。自立すればするだけ自分の気持ちは安らいだものになる

更に、他人の言動によって気分も左右されなくなる
結局、注がれている愛情というものは、場合によってどうなるかわからないもの。

人はあなたのすべてを高く評価してくれるわけでも、いつも愛情を込めて動いてくれるわけではない。
自分自身を愛する方法を学べば、今よりも人から頼られ、高い自己評価を持ち続ける事ができるようになるだろう。

まず、自分が自立することを望んでいるのかどうかを見定めることが第一歩。

もし、どうしても愛情に依存し続けたいというのなら、その利点が何なのかを
ダブルカラム法を用いてリストアップしてみよう。

もし、自分の価値を決めるのが愛情だというのなら、
そのことにどんな利点があるのか書いてみよう。

そして状況を客観的に評価するために、反論や理性的な意見を右側の欄に書いてみる。
そうすれば愛情に依存することの長所と思っていたことの一部あるいは全部が錯覚だったことが分かるだろう。

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※まずは以下の例を読んでもらって、自分ならどう考えるかを試してみてほしい。
合理的な反応(反証)を導き出すのは最初は難しいかもしれない。
そんな簡単に合理的な反応をスラスラ書ける人はいないでしょう。
請け負う。
例えば、合理的で冷静な人を頭に思い浮かべて、あの人だったらどういうだろうか、
と考えてみるのも一案(私の補足)
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               「愛情の依存者」でいることの「利点」の分析

幸せになるために愛情に
依存的となることの利点
合理的な反応

1.私が傷ついたときに誰かが私の面倒を見てくれる

1.これは自立した人達にも言えることだ。もし私が交通事故にあったら、誰かが救急病院に連れていってくれるだろう。医者は私が依存的だろうが自立した人間だろうがそれに係わらず手当をしてくれるだろう。傷ついたときに、依存的な人間だけが助けられるというのはナンセンスだ。

2.しかし、もし私が依存的ならば、私は物事を決定しなくて済む

2.依存的な人間ならば、人生を余慶に思い通りにできない。自分についての決定を他人に任せるのは信頼出来ない。例えば私が今日何を着て夕食に何を食べるかを、他の人に教えてほしいと思うだろうか。私が一番に選んだものを他の人も選ぶとは限らない。

3.しかし自立した人間ならば、私は誤った決定を下してしまうかもしれない。そうしたら、その結果の責任を取らなければいけない

3.それなら、結果の責任をとりなさい。---もしあなたが自立していれば過ちから学ぶことができる。誰でも完全ではないのだし、人生には完全に確かだという保証はどこにもない.不確実性が人生のスパイスなのだから。自尊心の基礎をつくるものは常時自分が正しいか否かということではない。そのうえで、ものごとがうまくいけば、それはあなたの手柄なのだ。

4.しかし、私が依存的な人間と考えずに済む。ただものごとに対応していればすむ

自立した人間もまた、考えたくないときに、考えないようにしているもの。依存的な人間だけが考えずにいられるというルールはない。

5.しかし、私が依存的ならば満足できる。私はおしゃぶりキャンディーのようなもの。私の面倒をみてくれて、頼れる人がいるのは気持ちがいい。

4.キャンディーは暫く経つと胸が悪くなる.私が頼ろうとする人は、私を愛したりおだてたりしようしないかもしれず、永遠に私の面倒を見てくれるわけではないでしょう。そしてもし彼が私に怒りや憤りを感じて離れてゆくなら、私にはもはや信頼出来るものがないために憂うつになるだろう。もし私が依存的なら、奴隷化ロボットのように扱われるだろう。

5.しかし、私が依存的な人間なら、愛されるだろう。愛情なしでは生きられない

5.自立した人間として私は自分自身を愛することを学び、これが私の他の人に対してより魅力的に見せるだろう。そしてもし自分を愛せるのなら、私はいつでも愛されていることができる。過去の私は依存心のために、人を惹きつけるより、人を遠ざけてしまうことのほうが多かった。赤ん坊の愛情とサポートなしには生きられないが、私は愛情なしでも死にはしない。

6.しかし、依存的な女性を捜している男性がいる

6.確かにそういう人もいる。しかし、依存心に基づいた関係は自己評価や自尊心といった、他人に与えられないものを要求するために結局は離別し、離婚に終わることも多い。自分を幸せにすることができるのは自分だけ。もし私が他の人に自分を幸せにしてくれと頼んでも、終いには苦い失望を味わうことがある。




依存心こそが自分を無能にしていた本当の原因だったということが理解することができただろうか。


◆孤独とただ一人でいる事の違いを納得すること

このような意見もあるだろう。あなたが私に質問する。

『あなた、それは全く結構なお話ですけれど、現実的ではないですよね。実際独りぼっちでいれば感情的にも劣等感を感じます。私は愛と幸せは同一のものだと思っています。これは私の友達も皆同じ意見ですよ。あなたは自分が孤独にならない限りは哲学者ぶることはできるかもしれませんけど、結論を言ってしまえば、愛情はあるべきとっころにはあもので、独りぼっちでいることはいずれにせよ呪わしいことなんですよ・・・』

実際、多くの人は愛が世界を動かしているのだと信じ切っている。

愛情を得て初めて幸せになれるという仮定に反論してみよう。
つまり「一人でいること=孤独なこと」の等式をじっくり考えてみる。

まず考えてみて欲しい。
人生の基本的な満足はたいてい自分自身によって得られる。
例えば、山に登ったり、花を摘んだり、本を読んだり、アイスクリームを食べたりして楽しむために誰かが一緒にいる必要はないでしょ。
作家は一人で書いているし、学生もたいてい勉強は一人でいる時にしているでしょ。
一人で出来る娯楽と満足できることを挙げればきりがないでしょ。

満足感の多くは、誰かが一緒にいようがいまいが関係ないということがわかるでしょ。


多分、あなたはここでこのように思うだろう。

『ああ、ええっと、それがあなたの論点でしたら、取るに足らないことですよ。もちろん一人の時に何かすることで一時的には月並みに気分は晴れます。憂うつ気分もぬぐえるかもしれません。けれども、こんなことは飢え死にしない程度のピーナッツみたいなものにしかならないんじゃないですか。私は本当のご馳走を手にしたいんです。愛情・真実、そして完全な幸せこそ本当のものなんです!』

一人でいることは惨めなことだと考えていたために、彼氏がいなくなってから、
楽しめることも、自分を大切にすることもなかったのだった。

彼氏と一緒なら、いろいろな計画を立てて楽しめたのだが、一人のときには憂うつになって
ふさぎこんでほとんどなにもしなくなっていたのかもしれない。

それは
自分で自分の面倒をみるという姿勢がなかったこと、
そして誰かが一緒にやってくれなければ何も楽しめない
という人生観を変えようとしたことがなかったから。


あなたの成功の鍵は簡単。(※これはアメリカ人的な発言ですが・・(私の感想))

『何よりもまず、自分自身との良い関係を発展させること』

これができれば、あとは簡単。
 (※逆にこれができないから悩み続けるのでしょ・・そこのあなた(私の感想))

次回(日時未定)は、喜びを予測する方法から要点をまとめてみたい。


すぐに続きが知りたいのなら、「いやな気分よ、さようなら」を買って読みなさい。





(2012/01/22 8:14)

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