幸せになるために愛情に
依存的となることの利点 |
合理的な反応 |
1.私が傷ついたときに誰かが私の面倒を見てくれる
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1.これは自立した人達にも言えることだ。もし私が交通事故にあったら、誰かが救急病院に連れていってくれるだろう。医者は私が依存的だろうが自立した人間だろうがそれに係わらず手当をしてくれるだろう。傷ついたときに、依存的な人間だけが助けられるというのはナンセンスだ。
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2.しかし、もし私が依存的ならば、私は物事を決定しなくて済む
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2.依存的な人間ならば、人生を余慶に思い通りにできない。自分についての決定を他人に任せるのは信頼出来ない。例えば私が今日何を着て夕食に何を食べるかを、他の人に教えてほしいと思うだろうか。私が一番に選んだものを他の人も選ぶとは限らない。
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3.しかし自立した人間ならば、私は誤った決定を下してしまうかもしれない。そうしたら、その結果の責任を取らなければいけない
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3.それなら、結果の責任をとりなさい。---もしあなたが自立していれば過ちから学ぶことができる。誰でも完全ではないのだし、人生には完全に確かだという保証はどこにもない.不確実性が人生のスパイスなのだから。自尊心の基礎をつくるものは常時自分が正しいか否かということではない。そのうえで、ものごとがうまくいけば、それはあなたの手柄なのだ。
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4.しかし、私が依存的な人間と考えずに済む。ただものごとに対応していればすむ
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自立した人間もまた、考えたくないときに、考えないようにしているもの。依存的な人間だけが考えずにいられるというルールはない。
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5.しかし、私が依存的ならば満足できる。私はおしゃぶりキャンディーのようなもの。私の面倒をみてくれて、頼れる人がいるのは気持ちがいい。
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4.キャンディーは暫く経つと胸が悪くなる.私が頼ろうとする人は、私を愛したりおだてたりしようしないかもしれず、永遠に私の面倒を見てくれるわけではないでしょう。そしてもし彼が私に怒りや憤りを感じて離れてゆくなら、私にはもはや信頼出来るものがないために憂うつになるだろう。もし私が依存的なら、奴隷化ロボットのように扱われるだろう。
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5.しかし、私が依存的な人間なら、愛されるだろう。愛情なしでは生きられない
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5.自立した人間として私は自分自身を愛することを学び、これが私の他の人に対してより魅力的に見せるだろう。そしてもし自分を愛せるのなら、私はいつでも愛されていることができる。過去の私は依存心のために、人を惹きつけるより、人を遠ざけてしまうことのほうが多かった。赤ん坊の愛情とサポートなしには生きられないが、私は愛情なしでも死にはしない。
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6.しかし、依存的な女性を捜している男性がいる
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6.確かにそういう人もいる。しかし、依存心に基づいた関係は自己評価や自尊心といった、他人に与えられないものを要求するために結局は離別し、離婚に終わることも多い。自分を幸せにすることができるのは自分だけ。もし私が他の人に自分を幸せにしてくれと頼んでも、終いには苦い失望を味わうことがある。
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