真空管はいいのではないか 2012
1/18
水曜日

少し懐古的なお話。

'50~’60年代は真空管が大スターでもてはやされた時代だった。
(僕の生まれは1962年です)

幼少の頃、どこの家でも「真空管テレビ」だった。
小学校のテレビは観音開きの扉が付いていた。
テレビを見ないときはテレビの前に緞帳のような布を降ろすのもあった。

 「ウルトラマン」を見よう!!
時間ぎりぎりに茶の間に座ってテレビのスイッチを入れる。
直ぐに絵が出ることはまず無い。
オープニングの歌からきちんと聞きたいのに焦った。
小学一年性の時、ウルトラマンを隣のチエコちゃんちに見にいかせてもらった。
カラーテレビの赤や青や黄色に感激した。しまくった。
思い出すとかなりコントラストの強い画質に調整されていたようだった。

1972年当時、僕の家はまだ白黒テレビだった。
近所が徐々にカラーテレビ化するのに悔しかった。

こんなこともあった。
仮面ライダーを楽しみにしていた小学五年生。
雷が激しく光り、大粒の雨が降っていた。

ばあちゃんが雷でテレビが爆発する(アンテナに雷が落ちるということ)
と言ってテレビを消せ、と命令する。

僕はこの一週間、仮面ライダーを待ち焦がれていた。
「第50話 怪人カメストーンの殺人オーロラ計画」だった。
泣いて婆ちゃんに見たい、見たいと哀願したが無駄だった。
悔しくて悔しくて、雷が憎くてたまらなかった。
そして雷が光り止むのを歯ぎしりをしながら祈った。
最後まで望みは叶わなかった。

このあと数ヶ月後にカラーテレビが我が家にやってきた。
嬉しくてはしゃいだ。

真空管テレビというのは、テレビ側面の取っ手口の穴から中を覗き込むと
独特の埃臭さが鼻につき、温かな空気が漏れ出している。
この埃臭さの匂いは今でも思い出すことができる。
真空管の中がオレンジ色にやんわりと灯りっていた。
消えかけの線香花火の先端をすこしばかり薄く削いだよう。
真空管は”ゆっくり”灯る”
この緩慢さが人間っぽくもあり暖かくていい。

'60後半から'70年代は真空管に替わり一躍スターとなったのがトランジスタだった。

立ち上がりはスピーディーだが、何か薄っぺらく冷たくて人間っぽさがない。
暖かみがないような。

ビートルズのアルバムもアビーロードまでは真空管のミキサーやコンプレッサーが
使われていたとジョージ・マーティンの自伝に書かれていたように思う。(曖昧)

アビーロードのアルバムの音と、それ以前の音は明らかに違うことがファンなら判るはず。
真空管の音があきらかに力強い。
アビーロードの音は軽い。

デビュー当時の2トラックからHELP!の4トラックマルチレコーダを経て、1968年から8TMRへ移行している。

BGMにしているEverybody's Got Something To Hide Except Me And My Monkeyは好きな曲の一つ。
8トラックのうち4トラックしか使っておらず、リダクション・ミックス(ピンポン録音:空きトラックを確保するための技法)していない分、とても音がクリアーで力強い。

ビートルはベースやギターの音をアンプからマイクロフォンで拾わずにDI(ダイレクト・インジェクション)して直接ミキサーに入力するようになり、クリアーなサウンドを得ていたと当時エンジニアだったジェフ・エメリックが自伝の中で語っている。

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レニー・クラヴィッツが、これら当時の音を出したくて、真空管機材を使ってアナログ録音をしたとか、何かで読んだような・・


今でもオーディオマニアは真空管アンプを重宝している。
ディジタル全盛時代でも人間らしさが残る真空管はいいのではないか。




  (2012/01/18 7:41)


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