里芋の煮物 2011
10/15
土曜日

日本の伝統色によるとこの背景色は生成り色(きなりいろ #fbfaf5 R:251 G:250 B:245)という。

ウィークデイをリワークに通い、集中力とテンションを上げ続けていると、そのツケが土日にやってくる。
今朝は気分が落ち込んで、目の前は霞んでいる。
思考は明瞭なのだが・・・・・・


昨日、実家の兄と義姉から里芋(セレベス)が届いた。
兄や兄嫁、姉、父はいつも静かに見守ってくれている。

早速、里芋の煮物を作った。
 (料理といえば混ぜる(納豆)、沸かす(味噌汁)と勘違いをしているが・・・)

そう言えば、今年の7月下旬に母の一周忌の法事があった。
一通りの供養が終わり、兄が挨拶をした。

『いままで母の夢は見なかったのに、(母が)死んでから母が夢によく出てくる・・・」と。

「僕も・・・」

追従し姉が、「私も・・・」

衝撃的事実に鳥肌が立った。
母が息子や娘を気に掛けながら巡回しているのだ、と猛烈に感じた。


実家の宗派は『高野山・真言宗』である。
懇切丁寧なお経と説明が売りの樫本住職は、式次第と何故このような供養をするのか、
資料を毎回配付してくださる。
追善供養について、このように説明されていた。



『追善供養の心得えについて』
『 「法事」は「法要」ともいい、仏教の行事という意味ですが、その多くは、「追善」を指しています。(「法」とはここでは「仏の教え」という意味です。) 
「追善」とは、この世に残る者が善い行いをして、故人が無事にあの世にいって、安楽になるように、後から追い行うことです。
生命は、常に生老病死を繰り返しながら永遠に持続していきます。故人を偲び思い案じて追善することによって、向こう側の仏の世界にいる故人が、私たち自身の中にその姿を表すのです。
私たちは故人を追善することによって、あの世の人と共に仏の世界をこの世に実現しようとします。
ご先祖様の霊を供養することは、
自分たちの足元を見つめ直すことでもあるのです。
ご先祖様の霊を成仏させ、その結果自分が守られるという追善法要は、真心からのお供えと施しを持って、どうかご先祖様の追福を祈ってください。
ご先祖様があるからこそ、今の私たちがあるという生命の尊さ。
そして日本はもちろんこの地球、この宇宙全体という大きな存在、環境の中で、
私たち動物、植物、すべての生命体は生かされており、生きているのだ、ということをしみじみとかみしめながら、感謝の気持ちを持って追善法要にご参加いただければ、と願っております。
 さらに、ご先祖様のことを偲ぶと同時に、未来の世代についても思いを馳せる機会としていただければ・・・


と結んでいる。

母が強健だったころから、(里芋の)種芋は脈々と引き継がれ、この「里芋」がここにある。

命を粗末にせず、「生かされている」ことの意味をかみしめながら、前向きに生きていこうぞ。



P.S.里芋、美味しゅうございました。



(2011/10/15 17:56)


Copyright (C) 2011 Shougo Iwasa. All Rights Reserved.