鋸山 2010
10/11
月曜日

 雲一つ無い秋晴れの今日、房総半島の南部にある鋸山(のこぎりやま)へ電車で○○さんと行ってきた。ここは採石場跡地で「房州石」と呼ばれ、良質石材の産地として、江戸時代から盛んに採石が行われた場所なのだ。ロープウェイもたくさんの人出て待ち行列が出来るほどの賑わいだった。各時代と共に採石が行われてきた名残であり、昭和57年を最後に採石は終了し、今はその独特の景観が多くの人達の目を楽しませている。(2010/10/11 19:53)


















■室町時代 安房里見氏の出城(鋸城)にて、柱のツカ石として使用される。
■江戸時代 安城の頃、伊豆の石切職人が渡来し鋸山周辺で建築用に石切を始める(土円岩)、更に万延、元治、慶応の頃になるとそれまでの悪い石(下石)から質の良い石(上石)の採石が盛んになり、石切場も鋸山本峰に移った。1895年には横浜開港に伴い、護岸工事用材、土木工事材として優秀性が認められ生産も大規模化された。
■明治時代 文明開化に伴い、房州石の需要もますます増え、京浜地方、特に横浜市、横須賀市の公共事業指定石材にもなり、金谷地区の総人口の80%が石材産業に従事していた。
■大正時代 この年12年9月1日発生した関東大震災で多くの護岸が崩れ、石積みの時代からセメント工法による時代に移る。しかし、横須賀追浜天神橋護岸、横浜市高島桟橋護岸、更に多くの石堀や石倉が今でもびくともせず現存している。
■昭和時代 セメントの進出により、採石産業も衰退し更に軍国主義のなか、鋸山も登山禁止となる。わずかに軍需用としての下石採石が細々と行われた。戦後、採石も機械化され、一時パン焼きカマドなどに使用されたが、それも終わりを告げ反映祖誇った採石後は、その奇岩、怪石とともにその景観美は、現在国立公園にも指定され、多くの人々の眼を楽しませている。

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