『関東大震災』吉村昭著 2010
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水曜日

 帰宅途中、空腹に耐えかねて新浦安駅で下車した。すこしばかり読み残っていた吉村昭氏の『関東大震災』を食事しながら読了。

 さて、ヘッドラインのとおり、誰でも知っている大正12年(1923年)9月1日午前11時58分にマグニチュード7.9の大地震が帝都を襲った実話が緻密に書かれている。

 地震そのものは相模湾沖が震源地(もう一箇所あった、失念)で倒壊(全壊・半壊)した家屋は確かに多く、圧死した人も数知れないが、夏休み明けのその日、丁度、お昼時、倒壊した家屋からの火災がそれこそ大軍団となってあちらこちらで猛威を振るった。火の粉は舞い上がり、電線を伝わって、また橋に置き去りにされた家財などを乗り移りながら、火は川すら飛び越えて邁進するのだ。水道整備が進んだと思われていたこの時代、火災発生の消火活動は大丈夫であろうと奢りや過信があっただろうし、実質、分断・破裂した水道管では消火活動は思うに任せなかった。実際には火災による焼死者が多いのだ。そういった意味では都市計画上の不具合、防災に対する啓蒙活動の不徹底が被害の拡大につながったのだから、人災であるともいえる。

◇被害(ウィッキペディアより)

  • 死者・行方不明者 : 14万2800人
  • 負傷者 : 10万3733人
  • 避難人数 : 190万人以上
  • 住家全壊 : 12万8266戸
  • 住家半壊 : 12万6233戸
  • 住家焼失 : 44万7128戸(全半壊後の焼失を含む)
  • その他 : 868戸

 特に悲惨・無情であったのが、被服廠跡の38,000人ともいわれる焼死だ。当時の本所区横網町(現在の墨田区の一部)にあった本所区被服廠跡。2万430坪の敷地に、家財をかかえた人々が溢れかえった。この広場で一安心していたのも束の間、火の粉は容赦なく家財等に燃え移り、たちまち火の海となった。竜巻が起こり人や動物、トタン、川の水、あらゆるものが空中に巻き上げられた。熱風と火の中で狂うように人々は逃げ惑った。後は死体の山が築かれていた。

 ここいらの記述も悲惨窮まりないが、地震の発生後の状況よりも、その後に起きる人間の心奥底に秘められた残虐な部分、普段は規律に守られているものの、タガが外れることの怖さに興味をそそられた。文面でも多くの記事・手記含めて割かれている。

 ひとつに、通信手段が麻痺したこと、新聞社も多数焼け落ち新聞の発行ができず、交通手段も麻痺していたため、正確な情報がないことだ。流言(つてごと)に惑わされ、口から口へと伝わりながら、デマが煽りに煽られ、被災者は恐怖に震えた。地獄絵をみた人たちは研ぎ澄まされたように神経が高ぶり暴徒と化していった。自衛のため自警団が自然に発生し、日本刀、匕首、鉄棒など武器を振りかざしながら、一般市民をも煽動した。そう、暴動事件が数多く発生した。

文庫: 347ページ
出版社: 文藝春秋; 新装版版 (2004/08)
ISBN-10: 416716941X
ISBN-13: 978-4167169411
発売日: 2004/08
内容(「BOOK」データベースより)
大正12年9月1日、午前11時58分、大激震が関東地方を襲った。建物の倒壊、直後に発生した大火災は東京・横浜を包囲し、夥しい死者を出した。さらに、未曽有の天災は人心の混乱を呼び、様々な流言が飛び交って深刻な社会事件を誘発していく―。二十万の命を奪った大災害を克明に描きだした菊池寛賞受賞作。

 なかでも在日韓国人・朝鮮人が井戸に毒をまき、放火しまわっているといった根も葉もない類のデマだ。尾ひれが付き、鉄道より早く情報は伝搬した。そして何ら罪もない彼らが2千人とも6千人ともいわれるが虐殺された。訛りがあるばかりに朝鮮人と勘違いされ、殴打され、切り捨てられた日本人も多い。聾唖者も殺害された・・・・

 さらに社会主義を良しとしない中で、社会主義者の暗殺事件が起きた。「大杉栄事件」で、東京渋谷憲兵分隊長兼麹町憲兵分隊長甘粕雅彦憲兵大尉とその部下による社会主義者大杉栄、妻伊藤野枝、甥橘宗一(当時6歳)の殺害事件にも詳細に書かれている。

 震災後に起きる犯罪も多かった。死体や崩壊家屋から金銭を掠めるもの、死体から指ごと切り落とし指輪を漁るもの、略奪事件も数限りなく起きた。卸売商の買いだめ・売り惜しみによる価格暴騰。醜いね。これが人間の本性なのか?

 気の滅入るような死体処理、また、被災者の仮住宅も不十分な中、いたるところで糞尿・屎尿だらけ。夏でもあり、蛆が蠢く死体の腐敗臭と糞の匂いで、そりゃ得も言われぬ芳香だったろうね。

 なんだか体が更に寒くなってきた。おわり。(2010/01/13 22:18)

※写真が多く掲載されている。↓
国立科学博物館自信資料室『関東大地震写真』


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