『軍艦武蔵』巨編を読んで。 2009
12/10
木曜日

 『軍艦武蔵』を読み終えた。上下巻併せると、1,300ページを越える巨編で半月以上要して読み終えた。この作者、僕も昔読んだけれど、吉村昭著の「戦艦武蔵」に触発されて、本書を書くきっかけとなっている。

 いろんな方にインタビューを敢行し、「大和」より扱いは得てして地味ではあった「武蔵」であるけれど、当時の時代背景と、多数の個人の経験談をもとに時代順序がうまく整理され、人間模様が炙り出されている。

 「大和」や「武蔵」は当時、軍艦巨砲主義に踊らされていた負の異物・遺産と言っても過言じゃないかもしれないし、山本五十六大将が”これからは航空機の時代”といったけれども、軍艦で大砲どっかんバリバリで戦争の決着が決まると思っている人が大勢いた時代でもあったわけだから、だからこんな軍艦を大金を使って作ってしまった。結局、何の功績も残せなかった。

 さて、武蔵が敵機に魚雷や爆弾、機銃掃射を浴び、味方戦闘機の援護もなく、何波にもよる攻撃に晒され、やがて沈没していくけれど、まあ、その様相たるは地獄絵だね。首や腕はすっ飛び、臓物は腹から溢れだし、そこら中の壁や甲板にに内蔵や脳漿が散乱し、へばり付き、艦内では血が溢れ、リノリウムの床は血と人の油で滑り、傾きかけた戦艦内はまともに歩けなかった。かたや、沈没後、漂流中は重油まみれになり、時間と共に一人二人と海中に沈んでいく。フカ(サメ)もいる。今度は自分の番か?まさに地獄よりひどい有様だったのだね。ここの描写は実にリアリティがあって、且つ、生々しすぎる。

 1945.8.15、日本は終戦を迎えるが、数少ない生き残った乗組員たちの心の中では戦争は終わっていない。当時の地獄模様の戦闘が悪夢と共に蘇り、うなされ怯える。戦争とは、一過性のものじゃないのだろうね。戦争後遺症だ。


文庫: 673ページ
出版社: 新潮社 (2009/7/28)


文庫: 691ページ
出版社: 新潮社 (2009/7/28)

内容(「BOOK」データベースより)

武藏―。日本が威信をかけて建造した世界最大の戦艦。そこには、仮想敵アメリカ海軍を打倒するという悲願がこめられていた。長崎で極秘裡に進められた建造と艤装。乗員に選ばれた青年たちの喜びと不安。武藏はやがて、戦雲渦巻く外洋へと錨を上げる。十余年の歳月をかけ、生存者への徹底的なインタヴューを敢行。巨艦とそれをめぐる群像を甦らせた、不世出のノンフィクション。 日本の生命線フィリピンを保持するための、成算なき大博打―その名を「捷一号作戦」といった。運命の海戦の火蓋が切られる。爆弾・魚雷を一身に受け、武藏は満身創痍に。だが乗組員の尽力により、驚異的に浮かび続けた。巨大戦艦の沈没、そして、そこから始まる、幾通りもの数奇な運命。波瀾の時代に生を受けてしまった青年たちの真実を描き、絶賛を浴びた、不朽の人間ドラマ。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
手塚 正己
1946(昭和21)年、長野県生れ。日本大学芸術学部中退後、劇映画、ドキュメンタリー、テレビ番組の演出に携わる。’89(平成元)年、映像制作会社「シネマジャパン」を設立。’91年、映画「軍艦武藏」の製作・監督を務め、大きな反響を呼ぶ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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