幸福は自由の異名 2009
7/24
金曜日

 月曜日に浅田次郎著の『ま、いっか。』を読み終えて、その本のネタで一本書こう。僕が過去のブログに何度か書いた『不便さを楽しむ。』と相通じる部分もあると思ったからだ。

 「今の世の中、テレビ、ミニ・コンポ、パソコン、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、携帯電話-こうしたさまざまの利器(便利な機械・器具。「文明の利器」)が整っている。 ・・・・・ 今の若者たち、いや今に生きるすべての人々は不幸なのではあるまいか?」と。

 もう少し踏み込むと「パソコンや携帯電話と通じて、人生の要諦(物事の最も大切なところ。肝心かなめの点。ようたい。)にはほとんど不要のコミュニケーションに忙殺され、テレビやラジオの番組に貴重な時間を消費し、冷蔵庫の中身を気にし、洗濯機や電子レンジのご機嫌を窺い、要するに未来のためになるようなことは何も出来ないのである。 幸福は自由の異名であるとする私の定義からすれば、いっけん自由のようでありながら、利器に管理されている現代人は不自由であり、幸福ではないと言うことになる。社会人としての普遍的資格を失うまいとするあまり、人々は知らずにメールの奴隷になっている。

 どうでしょうね。僕もそういった利器に恩恵を受けているけど、携帯やTVがなくなったら、現代人は生きていけるのだろうか。 自活と自立は違うけれども、ほんとうに皆さん、自分だけの、自分が心から安らげる時間を確保できていて、「ああ、幸せ」と感じていますか? お節介甚だしいけれど、利器は、情報の伝達や入手、時間を効率よく使えるという意味では役立つけれども、”そればっかり”では自分の本質を見失って、利器に弄ばれているだけであり、振り返ってみれば何も残っていない、利器がないと何もすることがない、なんて人生はまっぴらごめんだね。”不便を楽しめ”、だな。 (2009/07/24 0:25)

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