個性的VS平均的 2009
5/11
月曜日

 GWも終わり、今日から世の中は、平常仕事に戻った方が多いのでしょうね。休みぼけしてなんかイラレナイ。(君は生まれつきの天然ボケだけどね)

 さて、一般的に個性的っていうのは、いい意味で使われる時もあれば、ちょっと人より変わっている場合にも使われる。どちらの比率が何対何の割合になっているかは、僕には興味ないし、ケースバイケースで違うのだろうけれどね。

 かたや、平均的ってやつ。日本人の多くが一般庶民感覚で、平均的であることを望んでいるというのか、他人様と同じであれば、ほっとするような民族なのか、協調性があるのか、よく分らないけれど、例えばさ、隣の人が新車を買ったから、我が家も買わなきゃ、誰それさんて、一戸建ての家を買ったのよ、我が家もなんとかしないと恥ずかしい。

 車でいえば、おんぼろだけれど、何十年も大事に愛情を込めて乗っている。家であれば、古い家屋でもちゃんと手入れをして掃除が行き届いた暮らしをしている。僕はこちらに軍配を挙げるし、拍手を贈る派ですね。

  このような”平均的スタイルに安心を求める”、”絶えず他との比較で自分の基準を推し量ろうとする”。自分がこうだとする原理(プリンシプル)が脆弱なのだろうか。これらの発想の原点はどこにあるのか、どこから生まれてくるのでしょうね?

 平均的に、同じ生活スタイルで人様と同じように働き、同じような生活様式をしようとする、僕には向いていないし、人と同じじゃつまらない、と考える僕には理解に苦しむ。

 一般的に、今の世の中では、個性的=変わり者、人と違ったことをする=出る釘は打たれる、で、これまたお節介好きのバカドモが足を引っ張ろうとする。自分にそのような事が出来ないものだから、うらやましいものだから、「平均」という枠にはめ込んでしまおうとする。

 これは社会・職場が成熟しきってないから、そうなるのではないのか、と思わないですか、皆さん。

 なので、僕は、人と同じ=恥ずかしい、人と違う(法の範囲のなかで)=すばらしい、って社会になってほしいなあ、と思うのだよね。(2009/05/12 0:02)

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