『朗読者』を読んで。 2009
5/4
月曜日
みどりの日

 夕方から、6月19日から全国公開となる映画『愛を読むひと』の原作となるベルンハルト・シュリンク著の『朗読者』を一気読みした。粗筋等は下段を参照していただくとして、ハンナの外見だけではなく心の美しさ、自分に対する正直さに心を打たれた。

 主人公が思春期15歳の時、ハンナとの出会いを前半では、官能的描写含めてかかれている。中盤は時を経て、法律の勉強中であった主人公が、法廷(※1)で裁かれる被疑者としてのハンナを見続ける。その後、どのようなことがあったかは、本書を手にとって読んでいただきたいけれど、僕は、ハンナの生き方は決して間違っていなかったと思うし、ほんとうに清らかで、澄んだ心に感動したね。裁判中にハンナが裁判官に向かって「わたしは・・・・わたしが言いたいのは・・・・あなただったら何をしましたか?」と。この彼女の真っ直ぐさ、潔さが美しい。

 (※1)西ドイツでは「アウシュヴィッツ裁判」として1963-1965にかけて収容所の看守たちが、初めてドイツ人がドイツ人の戦争犯罪者を裁いた。(2009/05/04 22:49)


ベルンハルト シュリンク(著)
文庫: 258ページ
出版社: 新潮社 (2003/05)
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 スイスで出版された原書を、キャロル・ブラウン・ジェンウェイが格調高い英語に翻訳。セックス、愛、朗読、戦後ドイツの不名誉についての、短くも豊かな物語。15歳の少年ミヒャエル・バーグは、謎めいた年上の女性ハンナとの激しい恋の虜になる。だが彼女の身の上についてはほとんど知らないうちに、ある日ハンナはミヒャエルの前から姿を消してしまう。…二度と彼女に会うことはないと思っていた彼だったが、戦慄(せんりつ)の再会が実現する。ナチスの過去を裁く法廷の被告席に、ハンナがいたのだ。彼女が筆舌に尽くせぬ重罪を犯していたことが明らかにされていく、その裁判の進行を追いつつ、ミヒャエルはとてつもなく大きな難問に取り組みはじめる。ホロコーストを知った自分たちの世代は、どう対処するべきか?「理解に苦しむものを理解できると思ってはいけないし、比較にならないものを比較してはいけない…。ぼくたちは、嫌悪と恥辱と罪の意識を抱えたまま、ただ黙っているべきなのだろうか?何のために?」
 本書はボストン・ブックレビュー誌のフィスク・フィクション賞を獲得した。たぐいまれな明快な文章で、少ないページ数のなかで多くの悪の精神の問題に挑んでいる。世界がかつて知り得たなかで最悪といえる残虐行為に加担したのが親や祖父母、あるいは恋人であった場合、彼らを愛するという行為はどういったことなのか?文学を通しての贖罪(しょくざい)は可能か?シュリンクの文体は簡潔であり、比喩表現、会話といった文章の属性を問わず、余分なものはことごとくそぎ落とされている。その結果生まれたのが、ドイツの戦前と戦後の世代、有罪と無罪、言葉と沈黙の間に横たわる溝を浮き彫りにした、厳粛なまでに美しい本作なのである

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