母と子の絆 2009
4/29
水曜日

 昼過ぎ、月に一度鳴るか鳴らぬかの固定電話のベルが踊った。また、間違い電話か、脅迫紛いの押し売りかと思案しながら受話器を取った。3年半ぶりの前妻からの電話だった。用件は養育費に関する事務的なことで承知した。

「元気なのか?」
 『元気・・』
「□□は元気にやってるの?」
 『がんばってる。去年、3年のときは学年250人で7番だった・・・』
「そうか、がんばってるな。」
 『私がみてるから・・・』
「ギターは弾いてるのか?」
 『弾いてる・・・』
「一度□□と話がしたいな・・」
 『言ってみる・・・』

 短いやりとりだったが、何とかやってるとのことで安堵した。しかし、それはそれだけのこと。前妻に対する思いは過去の一コマでしかない。

 先程読み終えた「私の流儀/吉村昭著」のエッセイにこんなのがあった。

 『子供がしっかりしているのは母親が立派だからだ、というのが私の持論である。育児の重要な要素は、良いしつけをすることにある。 母親は、自然な形の中で子供にしつけを教える。脱いだ履き物をそろえさせる。食後、食器を台所に運ぶような癖をつける。そのようなささいなことが、子供が成人後立派な社会人になることにつながる』と。

 最近、ファミレスなどで親子連れの子供の振るまいにも目に余るものがある。騒がしいのだ。何故、あのようになるのか、母親を見れば一目瞭然、いわずもがな、である。

 昔、息子と娘が幼稚園のとき、こんなことがあった。買い物でデパートに行ったとのだと思う。待ちくたびれた息子と娘がふざけだした。前妻は、「周りの迷惑になるからやめなさい」とぴしゃりと抑えた。速攻・特効薬である。このようなことは頻繁にはなかったが、叱るときは後から必ず理由を添えていた。ファミレスに行っても子供達が騒ぐことはなかったし、許可なく箸をつけることもなかった。

 いろんなことが記憶によみがえったが、前妻が母親として子供達にきちんとしつけをしてくれたことは充分に感謝してよい。(18:15)

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