人生の絆とは、縦糸と横糸で織り上げられるもの。 2009
4/10
金曜日

 『白鯨』も下巻も残すは、あと180ページ、朝のコーヒータイム、少しブレイクと読み終えるのが惜しいのもあって、一部紹介しましょ。第一一四章から。エイハブ船長の語りのあとの解説。ここいら、僕の琴線に触れたのでね。深淵だ。

 『・・・しかしながら、あざない、あざなわれる人生の絆とは、由来、縦糸と横糸で繰り上げられるもの。凪のあとには嵐があり、嵐のあとには凪がある。人生はただ事もなく一直線にすすむことはない。人生は階段をのぼるように進行し、それをのぼりつめたところで、はい、おしまい-というようなものではない。幼児期の無意識の魅惑、少年期の盲信、青年期の迷い(これは避けがたい宿命である)、それから懐疑主義、つぎに不信、そして最後に壮年期の『もしも』という優柔不断の思考の終着駅に到達して、はい、おしまい-というわけにはいかないのだ。一度この過程をふむと、またその過程をくりかえすのだ-幼児、少年、おとな、『もしも』を永遠にくりかえす。人間にとって、二度とふたたび艫綱を解くことのない最後の港は、いったいどこにあるのか? 倦みつかれた者すらがなお倦むことを知らなぬ世界とは、いかなる恍惚のエーテルを帆にはらんで航行している世界なのか? ・・・・』

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