白洲邸 『武相荘(ぶあいそう) 2009
3/29
日曜日

  昨日の予告通り、天気も快晴、ってことで武相荘(ぶあいそう)」に出掛けた。相模原市に10年住んでいたこともあり、土地勘はある。小田急「鶴川駅」から歩いて12分程。逆向きに行けば「こどもの国」がある。昔は、よく行ったものだね。(だめだめ、過去は振り返るではないぞ)

 さて、入園料1,000円を払い、『武相荘』を拝観。邸内は写真撮影厳禁なので、部屋の間取りは→ここをご覧ください。入って昔は牛を飼っていた土間に応接ソファーが置かれ、廊下を渡ると「囲炉裏」。

 ここに福沢諭吉自筆の大きな額縁が嵌っている。『束縛化翁是開明』-化翁を束縛す是れ開明- 説明書きには「造化の神様を縛り上げて、これを人間の生活の幸せの為に使いこなす事、これが文明開化というものだ。」だと。

 「囲炉裏」にはその当時の再現した料理やお皿等が並べられている。メモした。
 ・半纏刺し子
 ・自磁人物大皿
 ・沖縄土瓶
 ・染付小壺
 ・江戸蕎麦片手口(江戸時代中期)
 ・蝶柄方染めはおり
 ・伊万里くらわんか茶碗(江戸時代中期)
 ・李朝膳
 ・丹波徳利 住吉丸太格子(江戸時代後期)
 ・形見替り塗分盆
 ・丹波イッチン皿(江戸末期)
 ・丹波釉皿((江戸時代後期)
 ・無釉蓮弁
 ・伊万里 染付牡丹文皿二種(江戸時代中期)
などなど。

「展示室」に、白洲次郎氏のこの家への思いが書かれていた。これ、いいこと言ってますね。感動。

 ■無駄のある家■
 鶴川の家を買ったのは、昭和十五年で、移ったのは戦争がはじまって直ぐのことであった。別に疎開の意味もなく、かねてから静かな農村、それも東京からあまり遠くない所に住みたいと思っていた。
 現在は町田市になっている、当時は鶴川村といい、この辺(少なくともその頃は)ざらにあった極ふつうの農家である。手放すくらいだからひどく荒れており、それから三十年かけて、すこしずつ直し、今もまだ直し続けている。
 もともと住居はそうしたもので、これでいい、と満足することはない。綿密な計画を立てて、設計してみた所で、住んでみれば何かと不自由が出てくる。さりとてあまり便利に抜け目なく作りすぎても、人間が建築に左右されることになり、生まれつきだらしない私は、そういう窮屈な生活が嫌いなのである。
 俗に言われるように、田の字に作ってある農家は、その点都合がいい。いくらでも自由がきくし、いじくり廻せる。一口に言えば、自然の野山のように無駄が多いのである。(以下省略) 『縁あって』 「思うこと」より

 コーヒーがおいしかったですね。田舎育ちの僕には古風な家で黒光りしているなあ、都会人・インテリ人は敢えてこういったものを嗜好する部分もあるのだと思ったね。僕もカントリースタイルは大好きだけれど、この茅葺き家屋は冬は寒いのじゃないのかい、囲炉裏はあるのがいいけれど、畳部屋ばかりじゃ、僕は飽きちゃうね、でもいい感じではあるけれどね。ま、いいかな。

 この後、鶴川街道といえば○×△、オタクな話題で、うひとつブログを書こう。「占領を背負った男(上)」を読み終えた。 

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「鈴廊峠」 時間: 1:22 納屋と第2ギャラリー 時間: 0:54
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