21年と6ヶ月と18日。 2009
3/18
水曜日
写真にカーソルを当てると、アラアラ不思議の写真となるよ。

 今日は、↑のメンバと懇親をした。左から、私、SSきさん、Mりさん、Sきさん、Tしさん。

 Tしさんは、91年入社し直ぐさま僕たちのチームに合流したけれど、私、Mり、SSき、Sきの4名が仕事で集結したのが1987年9月1日、まだ夏の暑さが真っ盛り、蒸し蒸し名古屋の柳橋だった。当時、電話局の業務精通者?ってことで「電話局OA化推進室」というプロジェクトがNTT本社組織直轄で発足したのに伴って辞令を受けたんだ。

 小難しい話はさておいて、丁度付き合いが21年と6ヶ月と18日だね。途轍もなく長いようで、あっという間だったとも感じるね。(僕とSきさんは1984-1985年に当時の電電公社~NTTの大学部って2年間の長期研修でいっしょだったので充分顔見知りだったけれど)

 それで、業務内容は全国で複数拠点の電話局をピックアップして、すべての部署の業務フローを徹底的に分析したこともしたけれど、その後、1988年春頃からCBISシステム~CUSTOMというお化けシステムにどっぷりと首まで浸かりきったんだよね。 IBMメインフレームの導入・カスタマイズチームとして役割を担った。

 SSきさんからは、いつものように下令・伝令が、「てめぇら、ぴしっとやれよな、ぴしっと・・」と脅迫まがいの喝がとんでいた。SSきさんがチーム内統括とOS(MVS)、僕がOS(MVS)とサードベンダ担当、Sきしゃんがネットワーク、MりどんがDB/DCのプロダクトをコントロールしたんだよね。SSきさんは一足早く名古屋から川崎へ異動となって設備系の設計に携わり、僕たちは1990年4月に川崎へ転勤となりメンテナンスセンタを構築した。その後、CUSTOMシステムは無限大拡大をしていく中で富士通・日立のメインフレームへ発展した。怒濤の如くシステムを作っては壊し、また作っては崩してってことを数限りなくやったね。

 僕、Sき、Mりは寅年生まれの誕生日も2月と3月とほぼ同じ年で、当時25歳だったけれど、みんな結婚してたし、Sきしゃんは長女を既に授かっていたけど、その後、この3人はそれぞれ2人ずつ子供に恵まれ、1987年から連続してほぼ毎年誰かの子供が誕生していた。

 ある意味、仕事も激変したけれど、家庭も高度成長期的・順風満帆的な時を一緒に過ごしたのだね。その頃は、毎日顔を合わせていたわけだから、僕は家族と過ごす時間より、こいつらと一緒に過ごしている時間が絶対長いなぁ、と思っていたね。事実そうだろうね。

 で、今日は約1年ぶりに寄り合い飲み会で盛り上がったんだよね。思い出話や、SSきさんの”びしっと根性注入説法”もいつもどおり復活し、ガヤガヤと毒舌を撒き散らしまくったね。

 そういや、Mりどんが自分のフランチャイズ地域に帰るかもしれないので送別会のリハーサルみたいな飲み会をしようかってこともあったのでね。

 Tなちゃんも今は幸せな家庭があって5歳と3歳の二児のパパ、SSきさんも27歳になる娘さん筆頭に二児の父親だし、Sきしゃんは三人、Mりどんも男二人、僕も二粒の遺伝子を蒔いたけれど、家庭崩壊したのは僕だけだけか・・・

 えぇ、それでね、それは置いておいて、このメンバは好き放題言い合える仲だし、何の遠慮も気兼ねもないからね。本音トークで仕事をしてきたノリは当時も今も衰えていないね。いい仲間だよ。
※P.S.仕事の部分はかなり端折っているので「匠の会」誕生までのざっくり経緯をご覧ください。

事後談SSきさんが帰宅する迄、数時間の記憶が完全空白であることを咎める権利は僕たちにはない。彼の身に何が起こったのであろうか、それは神のみぞ知る。

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