-マッカーサーと吉田茂(最終回)- 2009
3/13
金曜日

 (その1)(その2)(その3)に続く(最終回)。朝のコーヒーブレイクに読み終えた。内容の濃い、戦後史を敗戦直後から講和条約までを、生き生きとリアルに、事実を冷静・客観的に捉えていながら、マッカーサーと吉田茂という人間にも焦点を当てたところ、それに関連するキーマンも人間味をもって浮き彫りにされている。下巻の監訳者(内田健三氏)の言葉が的を得ているので、拝借して最終回としますね。


 マッカーサーと吉田茂の二人がどちらも、どちらかといえば偏狭な民主主義観と伝統的な価値を偏愛していたにもかかわらず、日米双方の仕事を指揮するなかで、ともども主要な役割を演じたとう逆説が明らかになるだろう。二人は、抗しがたい時代の流れに押し流されたのだった。

 時代が人を作るのか、人が歴史を作るのか。著者は、二人のリーダーの個性豊かで魅力的な人物常に惹かれながらも、その背景にある時代の政治力学を多角的に分析する。マッカーサーのGHQと吉田の日本政府。GHQにはアメリカの本国政府があり、連合諸国、対日理事会、極東委員会の存在がある。吉田には民主化運動の高揚、左派勢力の伸長のみならず、保守勢力内の抗争、反発もある。そのすべてを含んで、占領直後の米ソ平和共存から東西対立冷戦にうねっていく国際情勢と、焼土と飢餓、インフレにあえぐ国民生活があった。

 著者の目には、それらのすべてに広く注がれ、時に両リーダーの欧州を語るかと思えば、時に連合国間の思惑を角逐を論ずる。マクロを見ながら、ミクロの興味深いエピソードの紹介を忘れない。おそらく内外、大小、あらゆる意味で豊かなバランス感覚が、本書の最大の魅力といえるだろう。

マッカーサーと吉田茂〈上〉
(角川文庫)
リチャード・B. フィン
(文庫 - 1995/5) 298ページ
マッカーサーと吉田茂〈下)
(角川文庫)
リチャード・B. フィン
(文庫 - 1995/5) 286ページ

(中略)
 本書の特色は次の諸点であろう。
 第一は、著者が1947年から54年まで、直接染料政治に携わった当事者であり、外交官のキャリアを持つことである。そこから、巨視的に対局を見るいわば、”鳥の目”と、微視的に細部を見るいわば、”虫の目”を兼ね備える叙述が可能となった。
 第二は、本書が研究書であると当時に、きわめて優れた占領概説書となっていることである。しかもその叙述は、さまざまな分的以上に重要な情報源に直接取材したうえで、公正な判断を下した、バランス感覚に富んだものとなっている。


 どう?読みたくなったでしょ。ざくっというと、上巻は1945年8月15日から1947年6月の片山内閣誕生あたりまでで、下巻は、1948年同連立内閣が挫折するところから、1951年のサンフランシスコ講和会議で、1952年4月末の講和条約発効に至るまでが、微に入り細に入り解説されている。重複するけれどね、事実を淡々と述べているだけなら、飽きちゃうけれど、それぞれの人物の性格や心の葛藤や心情が書かれているので、研究史的色合いに留まらず飽きずに読ませくてれるね。すごく勉強になった本だし、全部を記憶出来る訳じゃないので、インデックスとして何かの折りには使えると思うんだね。 じゃ。

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