-マッカーサーと吉田茂(その3)- 2009
3/11
水曜日

 (その1)(その2)に続く(その3)は戦犯裁判の終結のひとつ、“東京裁判”を取り上げてみよう。ヒストリーチャネルで数年前に東条英機らが裁かれるシーンをTVで観たけれど。

 うーん、例えば(ひとつのケースとして)一般民間人が残虐行為を受けた側からすれば、その人の苦痛や恐怖、また残された親族には許されざる行為であったろうし、残虐行為をした人々は上からの命令であった場合もあるかもしれないけれど、戦後、裁判で死刑を免れた多くの元軍人もその非道極悪な行為を、毎夜毎夜、悪夢の中で再生し、もだえ苦しみながらそれらの出来事を完全消去出来きないでいる人たちが多くいるのも事実。一種の戦争後遺症といえばいいのかな。カルマ的にいえば、罪なき人々に惨たらしい行為をした人は、来世でその罪を償うための性を背負って生まれてくるのだからね。背徳したために、償うべきための宿命だろうね。それで運命を呪ったり、運が悪いと真摯にやり直さないと、更に次の来世にカルマを持ち越すのだろうね。勝ち組・やり逃げ、罪の償いをしないってことは絶対あり得ないと信じないと、やってられませんよね。

 じゃ、本文から抜粋するね。(手抜きかな?)


(抜粋)
1984年11月12日、“東京裁判”の名称で一般的に知られているこの裁判にかけられた25人の被告のうち7人が死刑の判決を受けた。この7人とは東条英機(前首相)をはじめとする5人の軍人と文官である前首相広田弘毅であった。この7人以外にも、文官5人を含む16人には終身刑が言い渡され、残る二人のうち前外務大臣重光葵は7年間の禁固刑を、梅津美治朗は20年の刑を言い渡された。
(中略)
 多くの日本人は東京裁判を不公平だったと信じている。軍指導部が犯した犯罪にもかかわらず文官が処罰されたし、法廷は被告の反論を不当に制限し、さらにウェッブ裁判長は被告に対して偏見を抱いていたと感じている。法律専門家は、共同謀議という訴因は一般的な法的承認を受けていない英米法における特殊な概念であって、

マッカーサーと吉田茂〈上〉
(角川文庫)
リチャード・B. フィン
(文庫 - 1995/5) 298ページ
マッカーサーと吉田茂〈下)
(角川文庫)
リチャード・B. フィン
(文庫 - 1995/5) 286ページ


15年の間に15の異なる内閣が出現した戦前の日本に共同謀議を適用するのはどう考えても不可能であると主張している。日本でも外国でも、裁判が事後に考えられた法的原則のもとで進められたという批判が少なくない。ほかにもB級とC級の戦犯に対する裁判は性急かつ準備不足であって、責任を負うべき士官よりも下級の部下の責任が追及され、過大な数の死刑判決が言い渡される結果になったという批判もある。

 マッカーサーはその回想記で、「日本国民は裁判手順の公平さと検察側に報復心がないことに感銘を受けたように見える、そんな日本人の態度に快い驚きを感じた」と書いているが、日米をともによく知る河合知夫はそうした日本人の反応を顕著な文化的特質の現れ、つまり「状況倫理」だと表現している。状況倫理によれば、この場合、戦争犯罪は誤りであったかもしれないが、死に物狂いの戦争という状況下では仕方がなかったと考える。また処罰も不幸な出来事であったかもしれないが、それもまた不可避な運命で、あの状況下では適切であった。残虐行為も処罰も、ともに運命が定めたものであった以上、処罰は抽象的な正義を表現するものだと勝者が主張することも、敗者がみずからの過去の行為を正当化することもあまり意味のないことであった。


 ここいらを詳しい方が語り出すと止まらないのだろうね。感想として、このような捉え方も新鮮だし、後からの総評ならいくらでもできるだろう、とも思うし、ひとつの事実史として覚えておきたい、ってことくらいかな。ただ、結構、モラリスト的な視点で抉っているとは思いません?

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