-マッカーサーと吉田茂(その2)- 2009
3/7
土曜日

  奥多摩へ移動中の電車の中、ヘッドラインの上巻を読み終え下巻へ突入する前に、抜粋を書こう。拾い読みのピックアップだから、話の脈絡が欠けてるけれどね。ま、いいかな。

・マッカーサー元帥:問題の複雑さに困惑して、決定を遅らせたり考えあぐねるようなタイプの人間ではなかった。(p81)

・(占領時代):六年半に及ぶ占領時代を通じてもっとも劇的な時期は最初の200日であった。(p94)

・連合国最高司令部プログラムの主眼が改革にあった。模範とすべきモデルは、自由主義的な憲法、代議政治、完全普通選挙、強力な労働運動、多数者に対する教育機会の提供、あらゆる生産手段の所有権の分散化、地方自治体の尊重など、アメリカの経験から得られた特徴的な制度が大半を占めたが、立憲君主制と議会政治のモデルとなったのはイギリスだった。(p94)

・全般的に見れば戦後の日本は、民主主義の種がほんのすこしまだ地中に残っていたにしても、自由主義的な勢力が崩壊的な交代を余儀なくされた時代だった。(p95)

・戦後、大半の日本人が気にしていることといえば、食料・衣服・寝る場所、そして働き口の深刻な不足だった。(p95)

マッカーサーと吉田茂〈上〉
(角川文庫)
リチャード・B. フィン
(文庫 - 1995/5) 298ページ
マッカーサーと吉田茂〈下)
(角川文庫)
リチャード・B. フィン
(文庫 - 1995/5) 286ページ

・占領時代初期で改革と並んで重要なテーマは戦争犯罪人の処罰だった。戦前の国粋主義的な高揚の中で重要な役割を果たした人間は政府要職の地域を負われ(パージ)、将来、責任なる地域復帰する道を閉ざされた。(p96)

・天皇は自身の神性を否定することによって新体制に大きく貢献し、新憲法を承認した。

・1946年元旦、劇的な出来事として、天皇みずから”人間宣言”を発し、自分が人間であると宣言した。天皇とその側近たちが天応神話・天応崇拝の一掃を検討をした上での実行だろう。(p126)

・マッカーサーは天皇に、国内を旅行して国民と顔を合わせるよう促した。(p128)

 もうじき青梅、じゃ、ここまで。

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