「奥多摩都民野森(体験の森)」での『山しごと実習』、”有志における今年度のオトシマイをつけましょう”、ってことでね、僕も自主参加させてもらった。作業は、計画段階は以下のとおり。
・栃寄・山の神様への参道の改良工事、新設工事
・ヒノキ林の枝打ち
・平成20年度入山林地の残り部分を完了させる
・場合により、スギ絞り丸太の搬出・運搬
・その他、状況により突発作業があるかも・・
参加者14名、気持ちは充分、でも、あれです、嫌なものが舞いだした、そう、花粉到来。週明けには最強の【花粉対策】をしよう。今日の天気は雨模様から快晴に向かい、奥多摩駅に9:15に着いたが、いまの季節とは思えない温暖な気候と青空が僕を迎え入れてくれた。
「山仕事」と一口でいっても、それを生業(なりわい)にし、生計を立て、生活の、生きるための職業にするということは、それなりの厳しさと経験・実践が必要となる。今まで、僕が関わっていたのは、ほんの導入部分、お触りでしかないと痛感した。
それは、今回、新島俊行(※注1)さんの、生きた、プロとしてのお作法・技術に触れることが出来た部分もあったからだ。60年以上のやま仕事をたたき上げで実践を積んだ人の言葉は重い、それに尽きる。
(※注1)新島敏行(にいじま・としゆき) 1933年、東京都奥多摩町生まれ。10代のときから素材生産を営む父から山仕事の技術を受け継ぐ。勤務退職をきっかけに、地元・奥多摩町で山村のくらしや森の技、山の作法を次世代の人たちに伝えている。2004年、昔この町で見かけた動植物を呼び戻すために、山と沢の手入れをはじめる。
平成10年東京都知事感謝状(緑化の推進と森林の愛護)、平成15年「森の名手・名人100人」として(社)国土緑化推進機構より認定。 著書に『プロが教える森の技・山の作法』(全国林業改良普及協会)。
|
|
出版社: 全国林業改良普及協会 |
|
午前中は、材の半割を中心に、午後から2班に分かれ、現場仕事、
1G::山の神様までの参道新設工事
2G:山の神様までの参道改宗工事
僕は、新島親方筆頭に、2Gとして、材を適度の長さに切断、参道への枕木補強をした。内容は各写真の中で触れたい。
【林業とは?】
育成業と伐採・出材業に分けられる。いま僕たちが携わっているのは育成。ちょっと手遅れな山での持ち主さんは立派な山をと夢見ている。育成業にしても山林作業の間違いは、20年、30年後にならないと結果が見えない。持ち主さんが失望しないような作業の仕上がりに気を使うべき、と新島氏の著書「プロが教える森の技・山の作法」(社団法人 全国林業改良普及協会)」にも述べられている。(左下写真参照)。早速、帰宅後、速攻アマゾンに注文した。
夕食後、私の父とほぼ同じである新島親方?と一時間近く、いろいろとお話をした。このお年にして、このパワー、プロとして60年以上山仕事をしてきた人のもつ風格かもしれない。ストレートに厳しい、妥協は絶対しない、作業中もビシビシ叱責が飛ぶ。でもね、僕はやるなら、安全に、何故、そうしているのか、先読みしながら仕事の段取りを考えているからなので、材料・道具を車に積むことひとつにしても、作業場所でどう降ろすか、どちら向きがいいのか、仕事の段取りを考えることは基本動作の一つなのだろうと感心したね。
僕は徳島は農家出身で、父や母は盆・正月、法事以外に仕事を休んでいるのは見たことがない。そんな環境で育ったから、ボランティア・森林体験より、実のところ、もう一歩踏み込んだ「仕事」として、「プロ」として、という気持ちがないわけじゃない。
僕たちは、本当のスポットで作業をしている。本来なら、その地の地形、標高、日向き、年間雨量、いつの頃に何がどうなる、まで知らないと本当の仕事はできない。前述の新島氏は150年先を見据えた構想をお持ちだ。仕事を伝授するのは情熱だと思うし、自分がこうしたい、こうさせたいがあるから、それがなけりゃ、ただのやりっ放しの仕事になってしまう。新島イズムの一端に触れた。
’いま携わっている作業の本質は何なのか。すべて作業は何に繋げていくのか、また、どんな作業から繋がってきたのか知ることが大切’と著書に書いている。
それで、新島師匠と談話しているなかで、ほんとうに自分が涙していないとほんとうのことは判らない、とも。それはね、育林業は子育てと同じ。ただ、成人して、結婚相手を探す、嫁に行く、その後、いろんなもめ事の仲裁役に翻弄しなければならない部分が、伐採・出材業であって、伐採・出材業に比べれば、育成業は容易いものとだ、ともおっしゃったのが印象深い。
|