戦後復興後の空気漂う有楽町ガード下で。
2009
1/23
金曜日

 昭和の戦後、復興の面影をどこか残す香しき雰囲気が漂う、有楽町、日比谷、JR山の手ガード下で、某社のMさんと割り勘で飲んだ。

 彼と初めて仕事をしたのは、1988年だと思うから、20年が経過したことになる。当時、CUSTOM(カスタム)というお化けシステムを全国導入する前に、米国は、シンシナティーにあるCBIS社のシステムをモデルとして、僕もメインフレームのシステム構築担当として携わっていた。

 その頃は、CBIS社と同様のIBMメインフレームを腹に据え、同様のミドルウェアやサードベンダパッケージを搭載する任務が僕たちのチームのミッションだった。

 ひとつ年上になるMさんは、その頃、A社のSEで、メインフレームのテープ自動管理では名の通ったCA-1と、ジョブ・スケジューラのCA-7のプロダクトを担当する技術者だった。(1988頃、UCC-1、UCC-7と呼ばれていた。その後、CA社(コンピュータアソシエート)に統合し、プレフィックスにCAの冠が付いた)

 その時代のバックアップ媒体はCMT(カートリッジ・マグネッティック・テープ)がメインで、今じゃ化石みたいだけれど、テープ1本で200MBの容量が保存出来た。(後にIBMではIDRCという圧縮機構で約3倍の記録が可能となった) 普通はVOLSER固定で、どのバッチがどのテープを使うかを決め打ちで割当をするのが主流だったと思う。しかしだ・・・

 ・・・CA-1というテープ・マネージメント・システムは、”スクラッチマウント方式”を採用し、簡単にいうと満了月日(JCL上、EXPDTで指定)、保存期限の超えたテープを自動的に使って、改めて、保存月日または世代管理に従って期限まで間違いなく媒体を保存・管理するってことでね、間違ってテープをセット(マウント)しても、自動的にリジェクト(なかったことにする)方式を採用して、保存中のバックアップ媒体を不意または故意につぶすことがないプロテクト機能強固な製品でね、優れものだった。無駄なテープ割当は一切不要だったし、急遽テープが不足しても、何ら気に病むことはないし、これが普通になると、固定割当方式の管理なんてかったるくてやる気にならないと思ったね。

 後に、CA-1はテープロボット(STK(ストレージ・テクノロジ)の巨大な12角形のサイロ型)と連動出来るように設定したのだけれど、これは最強の自動化を促進する優れものだったと今でも思う。データセット名(簡単にいうとファイル名)を一気に44文字まで独自拡張出来るのも大きなメリットだった。

 CA-7という製品は、これも僕自身だいぶ使い込んだけれど、バッチ処理のジョブ自動スケジューラで、バッチの順序性を保ちつつ、ジョブの自動走行・実行監視、終了状況の確認が出来るもので、特に特徴的と思うのは、何時までに終わるようにしなさい、と設定すると過去のELAPS(ジョブ走行時間)の6回だったと思うけど、平均時間を割り出し、ジョブの起動条件が揃えば、自動的に逆算して、ジョブを起動する、ってアメリカ的発想だった。

 Mさんから、年始にメールでご挨拶頂き、”軽く一杯いきますか?”のノリで本日待ち合わせとなった。お互いの仕事を振り返りつつ、過去の思い出も語りつつ、お酒を酌み交わした。

 当時のカスタムというシステムで、僕はサードベンダ系の窓口でもあったし、導入・カスタマイズ担当もしていたので、未だに、当時の営業さんやSEさんたちと昼飯を食ったり、飲み会に声をかけて貰ったり、複数名の方とお付き合いをさせて頂いているけれども、これはいいものだね、社内だけでは感じることができない、社外の空気も感じるし、時を隔ててお互い世間慣れ(ずれ)した、厚かましさも加速・増長され、損得のない馬鹿話や思い出話、世間話で盛り上がることができるのだからね。

 当時は超忙しかったのだけれど、今となっては貴重な体験もしたし、こうした社外のIT業界系のメンバと『どこかで繋がっている』という連帯感もあるからね。

 そうそう、Mさんは今は内部統制・監査の資格をもって、各種コンサルティングを担当をして活躍されている。Mさん、今度また、行きましょうね。コメントあったら載せますよ。


P.S.当時の同窓会的に「匠の会」も定期的に開催している。
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