そういや、ブログをオナり始めて約1年が経った。きっかけは、僕が「暇、ヒマ、ひまだなあ」と言ってたら、同僚のTるちゃんが「そんなヒマならブログでも書けば」といつになく毒舌ではなかったんだよね。そうだな、それもいいかも、ってことで始めたのだけど、まあ、あれです、オナルのだから、日々掻くのは気持ちが良いって事だよね。Tるちゃんが僕のブログを『省吾の自慰』にすれば、と丁寧な提案を受けた。「見たいか?」と瞬時に言ってしまう僕なのだ。ははは、・・・的ブログの基本スタンスは変化なしだよね。
今日は銀座に行った。GAPで半額で赤のタータンチェックのシャツを2枚買った。ネルっぽいやつ、いまはフランネルっていうの?いいね、これ。
じゃ、本題入るよ。
エドガー・ケイシーはおよそ15,000件のリーディングを採っていて、夢に関するものが約600件あるのだけれど、ドンズバの問いに対する答えは・・(まあ、関心の無い方にはちょっとねじがズレてるって思うかもね。)
「生命あるもの(あるいは、人間という物質的次元にある存在)のもとには、数多くのさまざまなものがあらわれる。それを、人類は”夢"とと呼ぶのである。
なかには(たとえば)次のようなさまざまな形態や方法によって身体の意識に届く暗示によって生まれるものもある。
身体が、熟睡かまどろみと呼ばれる領域に、意識をおいたとき。あるいは、霊と魂が自らを現す際に使用してきた様々の力が、この霊と魂の力によって再び整理されるとき。ある活動が、現世か物質的レベルにある意識的な心に強い印象を与えるか思い出させるかするような性質のものであるとき、それは夢と呼ばれる。
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これは、身体に取り入れられたそれらの力によって演じられるかもしれず、無意識の力に指導されておこなわれる消化作用のあいだに、その力の一部になるかもしれない。そのようなときにこの実体の霊と魂とが経験する力の一部になる。このようにあらわれることは、悪夢、あるいはこれらの力の物質レベルへの異常なあらわれと呼ばれるか、名付けられるかする。
普通の夢体験では、状況の前兆かもしれないことが演じられるが、それには、魂と霊の力によるさまざまな次元の状況との比較が伴う。既知の実体のこの魂と霊は、これらの次元を通って進化しながら、現在の次元にきたのである。この時代では夢というものがあまり信用されていない。なぜなら、人類の最高の成長段階では、潜在意識の魂が霊界の知識かを更に深めることだからである。これは夢の中で得ることができる」
僕が時折みる夢はいつも色つき、天然フルカラーで風まで頬に受けているし、食感はあるし、「色つきの夢を見るってどういうこと?」は次回の話題としましょ。夢のカテゴリーも次回に譲るね。
じゃ。 |