2008年9月5日(金) 
 『武士道』-仁・義・礼・智・信-その4
ーサムライってどんな人?ー

 今週は通勤電車で、「零戦よもやま物語」を読んだ。感想はこちら
 

 さて、一連『武士道』編、これはなんとなくシリーズブログとなりそうな気配が僕の中で育みつつある。

 <その1><その2><その3>の続編、<その4>をいってみよう。
 封建時代の始まり、日本でもヨーロッパと同様に職業的武人階層が必然的に台頭してきたのね、彼らは、「侍(サムライ)」と呼ばれ、護衛や従者として働いた。
 時が移り、「武家」や「武士」(戦う戦士)という言葉も普通に用いられるようになった。彼らは、農・工・商の三民の上に立つ特権階級であって、元来は戦闘を職業とした猛々しい素性だったのでしょうね。

 この階級は、長い年月にわたって続けられた戦乱の世にあって、もっとも勇敢で、もっとも冒険的な者の間から自然的に選び抜かれ、臆病者や弱い者は捨てられていった。

 エマソン(アメリカの詩人)はサムライを称して、こう言った。「野獣のように強く、きわめて男性的な、粗野な連中」と。

 やがて彼らの支配階級の一員として責任や義務が重くなってきた。と同時に、彼らは行動様式について、共通の規範というものが必要になってきたって訳ですね。

■勇猛果敢なフェアー・プレイ
「卑怯者」と「臆病者」という言葉は、健全でかつ純粋な性質の人間にとっては、もっとも屈辱的なレッテルであった。少年はこのような観念と共に歩み始めるのであって、武士も同様、年を重ねるに従い生活範囲が広がり、人間関係が多方面にわたってくると、当初の新年はそれ自身を正当化し、満足させ、発展させるためにより高き権威や合理的な支持を求めるようになる。
 「もし、武士が殺し合いの軍事的なものだけに頼り、より高き同手奥的な拘束力なしに生きてたとするならば、武士の生活の中には武士道なる崇高な道徳律は生まれなかっただろう。」ってのはとても頷けますね。

■仏教と神道が武士道に捧げたもの
 仏教は武士道に運命を穏やかに受け入れ、運命に静かに従う心をあたえた。具体的に言うならばそれは危難や惨禍に際して、常に心を平静に保つことであり、生に固執せず、死と親しむことであった。

 ここで神道の教義とは、我が民族の感情面での二つの大きな特徴が含まれている。愛国心と忠誠心であると。とりもなおさず武士道の中に主君への中性と愛国心を徹底的に吹き込んだ。これは教義というよりむしろ情念として作用している。

 うーん、続きは<その5>に続く。

 じゃ。
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