|
※これはシリーズブログ、読み切りにしているつもりだけどね。
昨日買ったスティーヴン・キングの新作「リーシーの物語」が早く読みたくて、読み残していた山本一力、「ワシントンハイツの旋風」200頁を昨夕、ジョナサンで読み終えた。
いつものように話を脱線させるけど、ビーフシチューと生ビールで長居をした罪滅ぼしに夕ご飯を食べた。精算時に、僕がウェイトレスさんではサービスと気配りと笑顔がキラキラ星の如く素敵と思う彼女が、「あのう、香水はカルバンクラインを付けてらっしゃいませんか?」と愛くるしい円らな瞳で僕を見つめながら聞くではないか。
「詳しいですね」なんて照れ笑いで返したけれど、さりげに軽く振り掛けたパフュームをよく嗅ぎ分けるなあ、なんて感心したね。
自意識過剰に心が波立つ。「我に返ろう」、心で制した。
僕が時折吹くCalvin kleinの香水は10年以上前に前妻が誕生プレゼントにくれた。愛情が瓦解する前の愛が存在したよき時代だった。他の香水なんか詳しくないので、同じモノを買い続けている。加齢臭はまだ無いぞ、おおっ。
彼女は誕生日やクリスマスによくプレゼントをくれた。ドイツの鼻毛カッター、アルミ色に輝く洒落た携帯灰皿、ビートルズ出会いの曲♪ALL MY LOVING♪のオルゴール、ネクタイ、吉田カバン、・・・かなり考えてあちこち捜し歩いたのがよく判った。「はい、どうぞ」ってね。
それに引き替え僕は何をプレゼントしたのだろう。仕事を優先してたし、「あれ、今日、りかの誕生日じゃ・・」って思い出しては、帰宅途中で花屋に駆け込み、真紅のバラを2、3本セロファンに包んで貰うのが関の山。歳の数だけ贈っても「もったいない」って言うのが目に浮かんだし、でも、一度位、歳の数だけバラの花束を贈ればよかったかな。ほんとうは喜んでくれただろうに、って思う。
綺麗なリボンで結んだドライフラワーのバラがいつまでも玄関に吊されていた。
いかんいかん、過去の思い出に埋没しても何にもならん。
さて、山本一力、「ワシントンハイツの旋風」、作者は徳島の隣、高知県の出身で、ほとんど自伝だろうけれど、昭和37年(1962)~昭和47年(1972)の中学から10年間を描いた物語でね、皆さんも機会があればどうですか、読んでみては。
友情と女への興味・体験、渋谷にあった(今は代々木公園)ワシントンハイツで覚えた英語を旅行代理店で活かした話が展開する。
彼は先に上京した母親と妹が住み込みで働く新聞配達店で、中学から高校卒業まで朝夕刊配達・チラシ・集金をしていて、そうじゃそうじゃ、<新聞配達の思い出>の続きを書かねば、ってことでね。 |
|
大阪・西成でも読売新聞は強かった。シェアは3割強、残りを朝日・毎日・産経が2割程度で分け合った。テレビ番組さえあればいいという人は産経に流れる。毎日・朝日の客は意外に寝返らない。読み慣れた新聞にこだわる顧客は多い。
それでね、新聞業界も競争社会だから、何もしないとどんどん他社に食われてシェアを落とす。で、皆さんも良い心証は抱かない新聞の拡張をするわけだ。
自宅でも、時折新聞の拡張を受けるけれど、関東の拡張員は紳士だと思うね。
ということで、今回は新聞の拡張について思い出を語ることにしよう。
新聞の拡張に、月に2、3度、売り込みのプロと言われる拡張員が投入される。彼らは大阪府下全域を日々渡り歩く。当然、歩合制なので拡張件数が上がれば上がるほど自分にフィードバックされる。津守時代、その拡張員に受け持ち区域を案内するわけだ。
1回目は長けた拡張員にかかれば1時間半程度で10件は”しばり(3ヶ月)”を取れる。しかし、同じ月に2度目、3度目となればなかなか”単発(一ヶ月)”も取れない。
「兄ちゃん、もっと取れるところないんかいな。全然、さっぱりやないか、ええ。」と拡張員も不機嫌になるがどうしようもない。
ここにKろださんという拡張のプロがいた。巨漢でのっそのっそ歩く。彼を案内して学んだことは、”如何に玄関を開けさせるか”、だ。開けてもらわないことには始まらない。
全うに「読売新聞です、奥さん、新聞とって頂けませんか。」なあんて流暢な綺麗事を並べても、インターホン越しに、「いえいえ、間に合ってますから」、プツンで終わる。
プロは違う。「あのう、奥さん、今度開店しましたんで、ちょっとお祝いに粗品持って来ましたんです、忙しやろうけど、ちょっとええですか」とインターホン越しによそ行き言葉で語りかける。
これに奥さんも踊らされる。
玄関が開く。拡張員のKろださんは、その刹那、重い巨漢を振るわせながら電光石火の早業で片足をドアに滑り込ませる。ドアを閉めさせないための楔にするわけね。まだ、玄関に入った訳じゃない、玄関先の挙動ね。
インターホンで喋った事を繰り返しながら、カクザイ(拡張材料)の洗剤やらシャンプーやらをちらつかせる。
あとはヤクザと化す。奥さんが根負けするまで粘る。しばりが無理なら単発でも、と粘り倒す。「奥さん、そんなこと言わんと。お願いやから、一ヶ月だけでもどない。」あやめ池やらエキスポランド、プール券、うめだ花月の劇券、たまには巨人-阪神戦の類も投入し、相手を見て若い奥さんなら子供と行ける遊園地、おばあちゃんならお芝居、お父さんが来れば巨人戦を。
意外に落ちるのだ。しかし、へたな拡張員ではなかなかチケットをちらつかせても落ちない。見た目はヤクザなKろださん、でも目がヤサシイ光線を発するからだと僕は見抜いた。 |
|
しかし、無理にねじ込んでいるから反動もたまにある。
いつものように不配届けの店番をしていると電話が鳴った。受話器を取るなり、「おどりゃ、新聞屋か、今日の昼きくさって、何やら、よめに置いていきさったん、ワレかい、たたき返したるから、今すぐとりに来さらせ、すぐ来いよ、おおっ」ガチャンと受話器を振り下ろした音が耳の鼓膜をキーンとさせる。
じたばたしても始まらない。肚を括って出かける。
高級なヤクザは一般市民には絡まない。しかし、中途半端な組でパシリ(使いっ走り)をしている若い衆は、その捌け口を求めるように絡んでくる。大声で怒鳴ればびびる、だろうと踏んでのことだ。
ここはひたすら神妙な態度で聞く。ひたすら聞く。口答えや言い訳をしてはいけない。
玄関奥のドアの隙間から奥さん(妾?)が夫(ヒモ?)に気付かれぬよう、目が僕にすまなさそうな詫びを投げかけている。これで十分僕は救われている。
神妙な顔をして、大きく頷いておく、で、帰ったら何食べようかな、とか、他の事を考えていたらいい。30分もすれば話は3回程ローテーションし、相手も疲れてくる。
「あのな、兄ちゃんに言うてもしゃあないことやな。まあ、今度からあんじょうやってや」とチンピラもすきっとした顔つきになってくるから不思議である。
ここへは二度と拡張員は入れないと心に誓う。
何度かこんな経験をすると、びびらなくなる。でも、僕は最初から怖いなと思ったことは一度もないね、玄関入るなり靴をぶつけられたこともあった。ても殺されはしないと安心しているからね。所詮、肝っ玉の小さいヤツらは全然怖くはない。
電電公社に入り、故障係(113番)で深夜に数時間絡まれても何とも思わなかった。
十数年前、葉山で一泊二日の「クレーム対応」研修があった。役割分担をして、発注側(顧客)⇔受注側の我々システム開発をする上でのトラブルをテストケースにし、キャスティングも持ち回りでシミュレートした。クレーム時の対応を学ぼうというものだ。
20数名参加し、最終日に参加者の挙手で優秀者を決めたけど、何故か僕が選ばれた。
当時の経験は活きた。
僕って演技派だと思ったね。
じゃ。
ワシントンハイツの旋風 |
|
文庫: 440ページ
出版社: 講談社 (2006/11/16)
発売日: 2006/11/16 |
|
|