2008年8月12日(火) 
 自立と自活の違いがわかるかな?

 帰省、3日目、今日も穏やかにのんびりと特に何をするわけでもなく過ごした。

 休みなのだから、何もしない、せわしなく動き回らないのが本当の休息・休日なのだと思うね。

 朝、兄と累代墓の掃除をした。先祖様のお墓掃除なんて何十年ぶりなんだろうね、いや、初めてかもしれないな。子供の頃はずっと父と母が墓掃除をしていた。それで、祖先があって今の自分がいる、肉体的にはね。ええ、陰ながらご先祖様というのは僕たちを見守ってくれているんだと思うね。

 母親は、今でも機関銃掃射のごとく口は達者だが、十数年患っているリウマチのため、体は萎んでいる。お墓掃除の後、母と家の裏にある「Waンダーランド」ってところで電動車と共に少し散歩しながら、話をした。

 つくづく思うのだけれど、僕の母はよくしゃべるのだけれど、考え方や思想はまったく子供の頃から変わらないね。多少、愚痴っぽくなっった。弱気と言えばいいのかな。

 母の母親が一昨年95歳で亡くなった。昨夜は蝶々が部屋に舞い込んで、これは偶然にも母の妹のえいちゃんと、母の姉の長女、僕の従兄弟にあたるクミチャンにも時折、舞い降りてくるって話があって、里のばあちゃんの霊は今でも娘や孫にいい霊となって見守ってくれてるんだって話をしていてね、偶然にも場所も時間も違う所で今までに経験のない蝶々が部屋でいつまでも舞っている、偶然だけではタイミングといい、説明しきれないことがまだまだあるんだと感じるね。

 霊感が強い母は子供の頃、嫌いな菜っ葉(お浸し)類を食べなかった。病弱で死にかけて、三途の川を渡り駆けたとき、対岸の岸から白いドレスを着た綺麗なお姉様達が、「おいで、おいで」と、片や、反対岸には家族の母や父や姉妹が、「孝恵(母の名前)、もんておいで(戻っておいで)」と呼びかけている、で、蓮の花やら綺麗なこの世とは思われぬ景観だったらしいのだけれど、まだこの世にし残したカルマのため?無事、家族の元に戻って、一命を取り留めた、それから好き嫌いをせず、何でも食べるようになって、菜っ葉がこんなにおいしいものだとは知らなかったってね。そのおかげで今日の僕が存在するのだけれど、こういったことが身近であると、霊の世界は摩訶不思議でもなく存在していて、結構、自分たちを見守ってくれているものなんだと思わざるを得ないね、理路整然と説明できないケースもあるでしょ。

 だからね、お盆の時期、心を込めてお墓参りをして、祖先に感謝しなけりゃいけないし、僕の記憶にあるおじいちゃんや、おばあちゃん、僕を見守っていてね、って心から思うし、あの世で楽しくやっててね、また、生まれ変わるときはカルマを返した綺麗な魂で降りてきてね、って皆さんが理解に苦しむようなことをマジで考えてしまうのですね。

 転生ってあるよね、だから、人様に辛い思いをさせたりせず、前世で負ったカルマは今の自分の宿命だといい意味で嘆き悲しまず受け入れて、今の自分の時代で少しでも軽くしておきたいと漠然と思っちゃいますね。
 今日は、「激しく家庭的なフランス人、愛したりない日本人/吉村葉子」を読んだ。前作に続く、フランス生活20年の経験を通じてのエッセイなのだけれどね、たくさんある中で”自立”と”自活”は違う、ってチャプターが印象深かったのね。独身男性・女性も晩婚化で多いのは事実だけれど、自活ってのは経済的に生活が賄えているけれど、自立ってのは、精神的に自分の考えがきちんと言える人、日本人にはそういう意味で自活できてても自立できていない方が多いってコメントがあってね、確かに、人の顔色を窺いながら自分の感情を顔色に出さず、同調しているだけじゃ、ストレスをため込むだけで、結局最後には自分の曖昧さを自分で自分を責めてしまう、って本末転倒なことになってしまうってクダリが同感でしたね、僕はこの限りにあらずで、上司でも意見が食い違うとズバズバ言ってしまう、だから僕は従順な部下では全然ないわけだ。

 で、この本、女性向けの本なので主婦や独身女性をターゲットにしているのだけれど、まあ、男が読んでも悪い訳じゃない、この著者の考え方、僕はとってもすんなり受け入れられるね。 じゃ。

@[「Waンダーランド」を望む
いまだに口だけは達者な母。


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