2008年5月15日(木)

朝、じいさんとの会話

 5:30、十分寝た3と思っても4H30M睡眠で目覚めてしまう。モカのコーヒー淹れつつ、どば〜〜っと放尿し、ミルク割りしたマグカップ片手に持って、前の小さな公園へ、何をしにいくのか、っていうと、深呼吸だな、これが。CAMELメンソールを吸いつつ、新鮮な空気も肺に胸一杯吸い込みましょ。

 先日もいたおじいさんがいた。この前、初めてお会いして83歳、茨城出身の彼と少しお話ししていたので、僕が”にこっ”とマグカップを持ち上げながら目で挨拶すると、同じく、200mlパック入りの清酒を掲げながら”ニカッ”って嬉しそうに微笑み返した。

 じいちゃんは、昔々、中島飛行機製作所で動員されて飛行機の板金、胴体やら翼やら、作業員の経験があるっていろいろ話をする中で、漏らしおった。

 ・・・・ぬぬっ、僕に戦闘機・海軍・陸軍機の話をしたのが、運の尽き、それまでは聞き役に徹するのが若い者の努めじゃ、多少言葉の回転速度が緩やかだけれど(ゆっくりってことね)、それが分別ある大人の男だ、なんて思って、息子の話や、19時には寝てしまう話やら、・・・いろいろ聞いてましたよ。

 今は富士重工となっている中島飛行機は零戦のライセンス生産もしていたし、なんせ、栄エンジンは中島飛行機製なんだから。

1931年 (昭和6年) 九一式戦闘機
1937年 (昭和12年) 九七式戦闘機
1941年 (昭和16年) 一式戦闘機 「隼」
1942年 (昭和17年) 二式単座戦闘機 「鍾馗」
1943年 (昭和18年) 四式戦闘機 「疾風」
1945年 (昭和20年) キ87 試作高々度戦闘機


 『じじい、もっと、そこの話をせんかい、ワレ、忘れとったら許さんぞ、全部思い出して、洗いざらい、ハナサンカイ、おう、ワレ、死ぬ前に全部、吐け、わかっとんかい、こら。おおっつ』と飛び出そうとする言葉を飲み込んで、にこやかに、「で、で、どんなのですか、そのナカジマヒコウキって?」 
 あかん、記憶が曖昧で、遅くて、僕が誘導しようとすると、例えば「治具なんか使って順繰り組み立てるんでしょ」、”ぽか〜〜ん”、「キラキラ〜」と星がじい様の周りをキラキラ取り巻いてるわ。目が宙を泳いでるし。「ちぐ」なんて言っても、息子に「ぐち」言われてるくらいだろうしな。

 『じじい、ワレ、両耳に100万ボルトの電極突っ込んで、脳味噌、デフラグかけたろかい?、断片化しとるその曖昧メモリーを綺麗にしたろうかい、おうっつ』

 僕がいろいろ、解説入りでレクチャーしてしまった。また、明日、行ってみよう、そしたら、多少、記憶が戻っているかもしれないしな。

 誤解しないでほしいけど、一言も、「じじい」、なんて言ってないからね、尊敬の気持ちはあるよ、ちゃんとね。穏やかなとてもいい表情のおじいちゃんだよ。人生が顔の皺に深く刻まれている感じもするしね。

 そういや、この前は茨城の大洗の海水浴に近い地の利が良い家と土地があるから、買わないか、なんておっしゃっていた。「じじい、そんなら、ここに切り取って持ってこんかい、おっつ、ワレ、したら、買ったるわい。」なんて発言はないのですからね。


 By the way.....
 『孫子の兵法/守屋洋』読み終えた。何度か読み返したいと思いましたね。

 今日のディナー、ブロッコリーonly、会社でパン食べたしね。

 じゃ。

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