2008年4月22日(火) 
輪廻転生、その2

 3月12日に書いた、『輪廻転生 その1』の要約系として[その2]を記述する。「何を況んや」と感じる方は、僕が気がふれていると思って下さっていい。しかし、僕には、心にびびっと響く言霊なのです。
 『輪廻転生』を定義付けると、「輪廻転生とは、繰り返し生まれ変わり出て変わりして、人生を通して魂はゆっくり進化していく」という理論。

 進化論が合理的であると考える人にとって、輪廻転生の合理性を理解するのはさほどむずかしいことではない。進化論の基本は次の重要な二点において拡大される。すなわち、進化論は物資面のみならず精神面にも及ぶようになり、また各々の生命単位は種族の進化に寄与するだけでなく、自らの進化にも貢献しているという考え方を肯定出来る。

 輪廻転生説は構造的進歩を超えて、心理的・精神的発展をも示している。さらに同説は、物理法則と全く同じ原理によって支配されており、そのもっとも基本的なものはカルマ、すなわち原因・結果【因果律】である。

 つまり、生まれ変わり出て変わり、自分が過去世に行ったことが種となって、今世の性格や環境・運命が与えられるというものである。

 このことをヒンズー教の諺では次のように説明している。「人は自らが過去世に種をまいた結果通りに生まれてくる」。
 すべては徐々に進歩していく意識の一成長段階としてとらえられ、すべての生命について同じ事がいえるが、将来の成長は現在の成長いかんにかかっていると見なされる。

 このように、輪廻転生説は天国地獄説とは異なり、すべての人間があらゆる資質や能力を開発することを許容するものでもある。

 苦痛というものは、私たちの人生に対する理解力を閉じ込めている殻(から)を打ち破るものである。まさに、”良薬は口に苦し”の例え通り、私たちを成長させるために、底の内部にいる人生の医者は苦い良薬を投与する。病とは自己愛の殻と不調和によるものである。私たちの内部にいる人生の医者とは、自己の魂を高めるための潜在的働きであり、その目的は人生におけるみごとなバランスの達成であり、もう一つはすばらしい愛の完成である。愛とは生命と生命の組み合わされた関係を示すものであり、根本的に重要な人間関係は次のように言える。
 『ひとつの生涯において親密な関係にあった魂は、次の生涯においても出会う傾向にある。もしその関係が愛情によるものならば、その愛情は継続する。敵意によるものならば、継続しないようにその敵意は克服されなければならない。恩義による関係ならば、その恩義には報いなければならない』

 これは確かに説得力のある言葉である。もし死後の生命の継続を信じ、そこに働くカルマの法則を認めるならば、魂同士が互いに引き合う力やその関係が来世までの持続することは十分あり得ることだろう。

 つまり、もし憎しみの関係があれば、かならずどこかでカルマの法則による矯正の行為がとられ、新しいプラスの関係に切り替えられるのである。たとえそれが愛の関係であったとしても、そこには良し悪しが入り混ざっているのである。したがって、私たちは常に人生と通して悪しき行為の負債は支払わねばならないものであり、一方、良き行為の報酬は必ず巡ってくるものである。

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