1959年8月26日、今から約53年まえ、僕の生まれる2年7ヶ月まえのこと。
何の日なのだろうか、誰かのアニバーサリーなのか?
鮮烈に、威烈に、ミニがデビューを果たした日である。
僕の乗っている1997年式ケンジントンMINIも、当時と車体や構造はまったく変わっていない。
未だに僕のようなエンスー的ファンがいるし、既に打ち止めとなって10年以上経つにも係わらず、大事に乗り継がれていることは、現代の車社会からしても、奇跡に近いのではないだろうか。
ミニの誕生から半世紀が過ぎているのに。
今回は、ミニがデビューを果たした当時に戻って、回顧録としてみよう。
そもそもMINIというのは、本来は'minimum'に端を発した言葉で、省略した形でMINIを使うにしても、その後にcarと名詞を付けることで成立するものである。
さて、オースチンとモーリスは、新味はなくとも実質剛健な、それこそ保守的なクルマづくりを続けてきた。両社のクルマを購入できた中流以上の英国人の生き方を反映してきた。そうした路線は、基本的にミニの場合も変わらなかったのだった。
ミニはそれまでのオースチンやモーリストは明らかに異なった、新味の強いクルマだった。そのため余計に保守的になった面があり、セールス部門はこの小さなクルマを、サイズから見て中流以下のクラスに相応しいと考えた。’50年代末の英国において最も購買力のある層に買ってもらおうとしたとき、保守中道できたメーカはせめて名前だけでも馴染みのあるものにして、お客を刺激しないよう務めたと推測される。これは売る側の一方的な安心感に過ぎないが、人は失敗を恐れると積極的にはなれないものだろう。
このような伏線もあったが、発売に向けた準備は着々と進められた。BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)が特に力を入れたのは、内外のジャーナリストに対するアピールで、8月なかばに催した試乗会はもてなし方が褒められただけでなく、ミニそのものも高い評価を得て幕を閉じた。特に海外のジャーナリストに受けがよかった。
しかし一部の英国人ジャーナリストは懐疑的な目でミニをみていた。
・ミニ以前に登場したいくつかのFFはあまり出来がよくなく、英国でのFFの評価が低かったこと。
・価格面では小さな割に高いということ。
当時、売られていた小型車のオースチンA35との価格差は£10しかなかった。A35の全長は約3.5mで、ミニは約3m。50cmも短いならもっと低価格であるべきだと意見された。ミニの方が居住空間が広いこと、そしてA35とは比べものにならないテクノロジーが詰まっている事もジャーナリストは知っていた。しかし、一般大衆はサイズと価格は比例すると思っている。その点でミニは難しいのではないかと、BMCサイドの心配があった。
このように、1959.8.26にミニはデビューするが、さて、その後、どうだったのだろうか、次回に続く。
(2012/09/29 19:32)
(出典):ミニ・フリークの日々(田村一七男著) :MINI THE COMPLETE ILLUSTRATIONS(尾崎豪著)
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