実際のところ、ミニは大衆に受け入れられたか? 2012
9/30
日曜日

昨夜の台風17号は夕刻から深夜未明にかけて、僕の住む地域でも、暴風警報や、もろもろ注意報を発出するほど、暴れていた。今朝は、快晴、台風の後は、何故か、空が青いとはよく言ったものだ。

1959年8月26日はミニがデビューした日、と書いたが、実際のところ、一般大衆にはどのように受け入れられたのだろうか?今回は、この点について掘り下げてみよう。


ミニの発売直後は、BMC(※注1)が大宣伝をしたお陰で、新聞、雑誌に大きく採り上げられ、ミニを知らない人をこの世から全て無くそうとするほどの勢いだったらしい。一般向けに公開されたのは、1959年10月、アールズコートという街で開催されたロンドンモーターショー。新型車をひと目見ようとする人で、ミニのブースは連日混み合った。

しかし・・・・
しかし・・・・・・・

ミニは、世間を騒がせた割には売れなかった。特にメインターゲットとなるはずだった中流以下のクラスが、ほとんど手を出さなかった。インパクトが強すぎたのだった。華やかな’60年代の幕開けとして1959年の発売は絶好のタイミングだったが、デビュー当時のミニは世間一般からすると異端児に見えた。クルマは好きだが、趣味にしようと思わない大衆にはミニを理解するのに複雑すぎたのかもしれない。

◆何故だろうか?
 ◇あまりにも小さい (車を買い換えるのに以前より小さなサイズを選ぶ人が少ない)
 ◇小さいのに、安くない

天才設計者のイシゴニスは、友人から「人は中身より価格や見栄でクルマを選ぶものだ」と指摘を受けた。
すると、イシゴニスは「そんな連中のためにクルマをつくるつもりはない」、と大見得を斬ったのだった。
設計者のイシゴニスの頭の中にはセールスという言葉が希薄だったのかもしれない。

(2012/10/01 6:25)

(出典):ミニ・フリークの日々(田村一七男著)  :MINI THE COMPLETE ILLUSTRATIONS(尾崎豪著)
(※注1)ブリティッシュ・モーター・コーポレーション (British Motor Corporation; BMC)は、1952年より1966年まで存続したイギリス資本で当時最大の自動車メーカーである。1952年、イギリスの大手2大自動車製造会社 Austin Motors(オースティン・モータース)と Nuffiled Organization(ナッフィールド・オーガナイゼイション)グループが合併し、前者の Austin(オースティン)ブランド、後者の Morris(モーリス)、MG、Wolseley(ウーズレー)、Riley(ライレー)のブランドを所有するイギリス最大の自動車メーカーとなった。比較的安価な Morris Minor(マイナー)から、中級スポーツカーの MG TF、高級スポーツカーの Austin Healey100 (オースティン・ヒーリー)、高級車の Wolseley、Riley までも生産した。(出典:ウィッキペディア)

これは、前回と同じく、ミニ・モーリスとして発売された1959年のインテリア。
センターメータはオースチン版より、こちらのモーリスバージョンにする人が
多いように思う。
ステアリングも渋すぎ。
ドアのガラスも横滑り
させるタイプですよ。









(これからも時折続く)



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