日本陸海軍機大百科、四式重爆撃機『飛龍』一型[キ67-Ⅰ] 2011
10/2
日曜日

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 シリーズ第五三弾は、高性能を誇りながら、本来の重爆としての活躍場を失った名機、『飛龍(ひりゅう)』を紹介しましょう。
 陸軍航空本部が、従来の「重爆撃機」の概念を超えた高性能機として、その試作段階から大きな期待をかけていたのが、三菱キ67だった。太平洋戦争も終盤に入った昭和19(1944)年夏に、四式重爆撃機『飛龍』の名称でようやく制式採用され、さっそく実践投入準備に入った。しかし、現下の状況は予想とは全く異なり、本機は不本意にも、海軍陸上攻撃兵力の不足を補う雷撃機として実践デビューする。そして、その後の戦いでも、特攻機や特殊任務機が優先され、本来の重爆としての実践活動がほとんどないまま敗戦に至ってしまった。


 私は、陸海軍が試作機を命令・着手するまでの過程、設計・製造に関わる新機能、工夫した技術や、テスト飛行における設計値と実績値との乖離、その場合、それをどのように克服していったか、その熱意と意気込みに興味をそそられる。

 キ67の実践デビュー以降の戦果に至っては、語るも無残な数奇な運命を辿った『飛龍』は、不運といえば不運な巡り合わせの機体だった。

■雷撃機の奮戦、薄暮攻撃の痛手
 簡単に振り返ると、『飛龍』の実践デビューは、雷撃機型として、さらに、薄暮攻撃として奮戦するも惨憺たる結果に終わった。

■比島攻防戦に特攻機として参加
 昭和19(1944)年10月下旬、倢一号作戦発動(比島攻防戦)に併せ、本機は「ト」号機と呼称された。「富嶽隊」の四式重爆は、通常の爆撃装備、防御銃座などを撤去し、胴体内に海軍の八〇番(800kg)爆弾2発を固定、密閉化。さらに機首から「導爆装置」と呼称した、一種の信管の役目をする長い棒を突き出していた。乗員は3名、または2名に減ぜられていた。
 しかし、単発戦闘機ですら、強固な対空砲火網、迎撃戦闘機の”壁”を突破するのは困難だったのに、動きの鈍重な双発大型機では、さらに難しかった。

■再びの特攻機”桜弾”装備機
 ト号機直後の昭和19(1944)年12月、陸軍はさらに強力な破壊力を持つ、「桜弾」と称する特殊爆弾を備える特攻機の製作を三菱に命じた。
 この爆弾を操縦室後方内部に設置したため、胴体上部が”猫背”のように大きく盛り上がり、異様な外観を呈した。昭和20(1945)年2月に完成した2機の試作機に続き、少数が改造によって製作された。キ67特別攻撃機「桜弾」装備機と呼称された。
 3月から始まった沖縄攻防戦に投入されたが、結果は察して知るべし、詳細は未確認だった。

【参考】「桜弾」とは、要するにテルミット爆弾で、爆薬をお椀型の器内で爆発させ、その威力をお椀型の壁で前方向に集中して発散させるというもの。「桜弾」の原型となった独軍の「テルミット弾」は、もともと地上攻撃用のもので、強固なコンクリート製陣地や装甲の分厚い中型以上の戦車などを破壊するために開発された特殊爆弾である。お椀型の器は直径1.6m、重量は2,900kgもあった。この内部に、火?爆弾と鉄鋼破戒用の特殊爆弾が詰まっており、爆発時の威力は火?が1,000m前方まで達し、300m先の中型戦車を破壊炎上させることが出来た。艦船に突入したときの威力も相当なものになったと想定できる。

■ミサイル母機にも転用(キ67「イ」号無線誘導爆弾搭載機)
 第二次大戦中のドイツ空軍は、世界に先駆けて、今日のミサイル兵器の元祖とも言える、薬液ロケットを動力に持つ、無線誘導式の有翼爆弾を実践使用し、連合軍側に衝撃を与えた。
 日本陸軍も、その情報をもとに「イ号」と称した無線誘導有翼爆弾を三菱、川崎両社に開発させた。そして、それぞれの爆弾を搭載する母機には、自社製の双発機を充てることになり、三菱はキ67を使うことにした。
 改造は難しくなく、爆弾倉を広げてイ号を懸吊できるようにし、爆撃手席に、その無線誘導装置を取り付けたのが主なポイントだった。
 昭和19(1944)年8月に試作着手し、11月までには発注された10機全てが完成した。投下テストは琵琶湖を中心に実施されたが、実践を想定してみるとヨーロッパと異なり、制空権を完全にアメリカ側に掌握された太平洋戦域では、運用困難であることがわかった。
 つまり、爆弾を投下し目標に命中するまでの間、母機がずっと直進飛行して無線誘導をし続けることは、敵の防空戦闘機が警戒している状況下では、ほとんど不可能に近かったのであった。結局、イ号爆弾は一度も実践使用されないま終わり、関係者の努力も徒労に終わった。

【参考】キ67の胴体下面に懸吊された「イ」号一型甲無線誘導爆弾。弾道部には、海軍の八〇番(800kg)徹甲爆弾を内蔵しており、その後方の胴体内に推進用薬液ロケットが装備してあった。通常、目標の手前10km、高度500~1,000mくらいで投下し、約1.5秒後にロケットに点火、速度550~600km/hに増速し、約75秒後に突入するようにしていた。

■生産機数
 合計697機と生産数は意外に多いが、当初の重爆としての能力を存分に発揮できないまま終わってしまった。


 次回は、海軍 日本航空史上、唯一のロケット推進式無尾翼、局地戦闘機『秋水』を紹介します。

 (2011/10/02 14:52)



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