日本陸海軍機大百科、艦上攻撃機『天山』十二型 2011
8/27
土曜日

 シリーズ第四三弾は、太平洋戦争後期の日本海軍空母打撃力を支えた超ヘビー級艦攻『天山(てんざん)』を紹介しましょう。日本海軍艦上攻撃機近代化の嚆矢となった九十七式艦攻の後継機として開発された『天山』は、大出力発動機「護」(1,870HP)を搭載することで、格段の高性能を狙った。試作機の完成も早く、太平洋戦争前半には戦力化できると期待さRた。しかし、未経験の大重量機ゆえの不具合に加え、肝心の「護」発動機の不調も重なって、部隊配備は大きく送れてしまう。結局、この遅れが天山の戦績不振に直結することになった。


■中島の1社単独試作
 昭和14(1939)年12月、海軍航空本部は次期新型艦攻の要求仕様書を中島飛行機へ「十四試艦上攻撃機」の名称で試作機の発注をした。「十試艦上攻撃機」の試作発注から、既に4年半近く経っていた。「競争試作」ではなく、コスト面や日中戦争の非常時下ということもあって、中島1社に単独で試作の発注をしたのだった。

■要求スペック
  -最高速度:463km/h以上
  -雷撃状態に於ける航続距離:3,300km(1,800海里)

■発動機の選択
 海軍が推したのは、三菱の双発大型機用「十三試へ号改)(のちの「火星」)、これに対し中島は、自社製で試作中の「NAK」(のちの「護」)の両複列14気筒(1,500-1,800級)だった。最終的には、海軍の意向に逆らって自社製NAKに固執し選択されることになった。

■ポイント
 全幅14.89m、全長10.8m、重量(全備状態)5.2tは、海軍艦上機としては空前の大重量機になった。これらを支えるために技術陣が採用・工夫した点としては、独特の平面形をしたファウラー式フラップ(離着艦時の低速状態でも大きな揚力向上を得ることができる)、防弾を犠牲にした上、下面外殻が主翼外皮を兼ねる「セミ・インテグラル」式を採用した。(被弾に対する脆弱性を招くことにもなる) 空母の上昇機(エレベーター)の制限から、全長11m以内に抑えるため、胴体後部の上、下幅は太いまま、左、右幅だけを急激に絞り、側面から見ると寸詰まりの形状にした。5tの重量を支えるための降着装置にも工夫を凝らした。主脚は、轍間(てっかん)距離(左、右の車輪間隔)を5mにし、滑走、降着時の安定性を高めた。脚柱に側方支柱、および後方支柱を取り付け、主翼内の油圧筒が側方支柱に屈伸させることで、引き上げ、引き下げの出し入れを行うようにした。車輪を取り付けるフォークを二股状にして、強度を高めたことなどが挙げられる。設計着手から初飛行まで、1年3ヶ月という異例の短期開発だったのだが・・・

■ようやく制式採用
 1号機の初飛行から2.5年を経た昭和18(1943)年に、艦上攻撃機『天山』一一型[B6N1]として制式兵器採用された。発動機の問題、機体振動の問題、離陸滑走時の左偏向癖の問題、燃料タンク、フラップ、排気管の不具合、航空母艦への着艦時、大重量ゆえに索(飛行甲板上に張られた制動索(ワイヤ)の切断と、拘捉鈎そのものが壊れてしまう問題など実用化までに難渋の道程があった。

 次回は、海軍の『九六式陸上攻撃機二型』を紹介します。

※サイト:日本陸海軍機大百科


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