日本陸海軍機大百科、陸上爆撃機『銀河』一一型 2011
8/27
土曜日

 シリーズ第四一弾は、海軍の優秀な機体設計と高性能を誇りながら、低評価に甘んじた双発爆撃機『銀河』を紹介しましょう。戦前の日本海軍が戦略構想の根幹とした主力艦(戦艦)同士による砲撃に際し、その有力なる補助兵力として期待をかけたのが、陸上基地航空部隊だった。陸上攻撃機に続く、”急降下爆撃もこなせる双発陸上機”という構想に沿って開発されたのが、陸上爆撃機『銀河』であった。海軍航空分野のシンク・タンクとも言うべき海軍航空技術廠が自ら設計しただけに、空気力学面から見れば、これ以上の洗練は不可能とも言える程の素晴らしい出来を示した。しかし、太平洋戦争の厳しい現実は、本機の運命を一転させてしまった。


■陸攻に続く新機種
 海軍には、艦上爆撃機はあったが、その射程距離は百km以内でないと捉えられない。陸攻は爆撃に際して、水平、もしくは浅い角度での降下爆撃しか出来ないため、降下角45度以上の急降下爆撃はむろん不可能であり、自ずと命中率も低くなってしまう。よって陸上基地にて運用する長距離性能の爆撃用機体があれば、将来予測される宿敵アメリカ海軍艦隊との決戦で効果があると航空参謀は考えていた。

■ドイツ空軍のJu88に学ぶ
 航空参謀の構想は、海軍航空技術廠(略して空技廠:航空技術面において、民間メーカーを市道、監督する立場))で検討・研究されるが、併せてドイツ空軍の双発爆撃機ユンカースJu88を海軍は1機を研究資料として供するために購入することとした。同時期に海軍航空本部は空技廠に対し、「十五試陸上爆撃機」[P1Y]の名称で制式に試作発注した。

■要求性能
 飛行機は相反する要素を含んでおり、航続距離、最高速度、機体の剛性をすべて兼ね備えるのは”神業のようなこと”である。いかに妥協点を見つけて設計するかが、設計者の腕の見せ所、醍醐味とも言える。
 設計の基本構想は、
 (1)機体の大安宅を制御するため、乗員は必要最小限の3名(爆撃/航法員、操縦員、無線/銃手)とする。
 (2)発動機は、既存の実用型では到底出力不足で要求性能を満たせないため、敢えてリスクを冒し、正否不明の中島で試作中の「BA11」(のちの「誉」-1,800~2,000hp級)を採用する。
 (3)主翼は速度と継続力の兼ね合いで、アスペクト比7.3 (※アスペクト比とは、飛行機の翼の翼幅(翼端から翼端までの距離)の2乗を、その平面面積で割った値のこと、この値が高いほど翼の性能や効率は高い)、全幅20mという、双発機としてはコンパクトなものとする。それに伴う髙翼面荷重がもたらす離着陸性能の低下は準ファラー式フラップ、および補助フラップの組み合わせで補う。
 (4)導体、発動機ナセル(保護カバー)は、空気抵抗を極限まで減らすべく、裁量の形状を探求する。
 (5)爆弾、魚雷は全て胴体内の兵装質に収める。翼内燃料タンクの一部は防弾タンクとする。

■海軍が求めた高性能を実現
 昭和17(1942)年6月、空技廠は発注から1年という異例のスピード開発で、十五試陸爆の完成にこぎ着けた。飛行テストの結果、最高速度は555/kmを越え、後続力は荷荷重状態において5,500km(3,000海里)を確保しており、操縦、安定性にも問題はなかった。懸念された急降下テストでは、予想以上の703kmの降下速度に達しても、向上強度上、何ら問題がないことがわかった。空技廠設計課の英知を集結した成果だった。<※山名正夫(設計主務官)、三木忠直(総括主務、主翼兼務)、高山健捷一(胴体、兵装)、小島正男(動力、艤装)、各技師のチーム編成>

■量産
 日本最高の量産能力を誇る中島飛行機が請け負った。削り出しの機械加工や、コンパクトな機体の内部はスペースが狭く、諸々の装置品、配線、配管類がギッシリ詰まり、これらのことから組み立てに日数を必要以上に要し、効率が極めて悪かった。

■負の連鎖
 中島が量産を軌道に乗せたのは、1号機の試作から1年半以上経過した昭和19(1944)年春のことだった。発動機「誉」の不調・故障、未熟な搭乗員(熟練搭乗員の戦死)、一定のレベルに達するまで多大な訓練期間を要す、など当初に海軍が思い描いた最高レベルの機体、老練搭乗員の精鋭戦力の実現はことごとく裏目にでることとなった。

■国破れて銀河あり
 ”国破れて山河あり”ではなく、”国破れて銀河あり”と言わしめるほど、実施部隊では評価も低く、陰口を叩かれる有様だった。

■製造機数
 中島は、終戦までに1,000機余りを製造したのだった。


 次回は、陸軍の三式戦闘機『飛燕』一型丁[キ61-Ⅰ丁]を紹介します。

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