日本陸海軍機大百科、一式戦闘機『隼』三型[キ43-Ⅲ] 2011
8/21
日曜日

 シリーズ第三五弾は、陸軍の旧式化を認識しつつ、終戦まで量産が続けられた一式戦闘機最後の生産型を紹介しましょう。似たような設計思想、そして開発時期も重なる海軍の零戦に比べ、製造、実績、さらには戦後に於ける知名度という点でも、大きく水をあけられたのが一式戦だった。しかし、海軍と異なり、毎年新型戦闘機が採用された陸軍戦闘機界にあって、旧式化を認められながらも、ともかく終戦を迎えるまで量産継続された一式戦は、それなりに存在価値のあった機体と言える。


■陸軍戦闘機の苦しい状況
 昭和18(1943)年二入り本格就役した一式戦闘機『隼(はやぶさ)』二型は零戦三二型と同系列・同出力の中島製発動機「ハ-一五」(1,150hp)を抱いたが、最高速度は515km/hにとどまり、零戦三二型より30km/h近くも遅かった。この時期の陸軍の状況は一式戦を補佐すべき存在の二式戦「鍾馗(しょうき)」、さらには後継機と目された三式戦「飛燕(ひえん)」は、性能はともかく、いずれも諸々の問題を抱えて、陸軍航空の機体に応えられないでいた。このような状況が続くが、昭和19(1944)年、後継機の本命とされた四式戦「疾風(しっぷう)」の実用化に目処がついたが、一定数の実戦配備が整うまでに、相当の日数を要することから、一式戦の延命を図り、急場を凌ぐこととなった。

■改造のポイント
 大幅な改造設計を加えるものではなく、二型後期の発動機を水メタノール液噴射装置併用に対応した「ハ-一五-Ⅱ」 (離昇能力1,190hp) に換装し、気化器空気取り入れ口まわりを改修する程度にとどめた。試作機は昭和19(1944)年4月に完成し、最高速度は二型に比べ40km/hアップの550~560km/hとなった。射撃兵装(12.7mm機関砲x2)が当時としては既に脆弱であり、ウィークポイントになっていた。製造は、四式戦の生産に手一杯で余裕のない中島ではなく、一式Ⅱ型をライセンス生産していた立川が担当することになった。

■陸軍特攻隊の主力機へ
 悲しいかな、陸軍の場合は三式戦も四式戦もあったが、飛行性能が高く、四式戦は最新鋭機とあって通常作戦、あるいは防空任務などにも無くてはならない存在であり、特攻機に投入するわけにはいかなかった。したがって消去的に白羽の矢が立ったのが一式戦となった。第一線機としては旧式化していたが、250kg爆弾1発を懸架した特攻機としての性能は十分であったのだった。

 次回は、赤トンボの相性で有名な、海軍 『九三式陸上中間練習機』を紹介します。

※サイト:日本陸海軍機大百科


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